好きなあの娘の携帯に付く人形のストラップ

立ち止まって悩んでいるときに、やってみなきゃ分からない、とか、とりあえず頑張ってみたらどうだ、とか、やらぬ後悔よりやる後悔とか、そういうことを説く人は必ず居るけれども、それって単に、誤った選択をして無駄にした時間という現実から目を逸らして諦めてるだけですよね?と正論を吐いてしまったらその会話はどうなってしまうんだろう。
正論というソナーで道が拓けるわけじゃない。と誰かが言っていました。
多分最終的には皆間違っていても恥らうべきことでも正当化しなきゃ、やっていけないんだろうな。人類みんな私もお前もあいつも皆。
どんどんどうでもよくなってしまって、どうでもよくなってしまう次は関心だらけになって、またどうでもよくなってしまうという繰り返しだ。いつでも。
私はやっぱどうしても私のことが好きじゃないみたいで散々がんばろう幸せになろうと考えていたけれど、私が大成することも幸せになることも誰からも好かれても、逆に不幸になることも死ぬこともどうでもよかった。
河原で変死体になっちゃって野良犬に食べられても汚い安いホテルで首を絞められてもどうでもいい。
化粧も脱毛も美容皮膚科も好きなブランドで買い物することも自分のためにならなくて、そうすることでなんとかちゃんと人として扱われたくて、そういった行為は金と時間以外メリットしか生まれないから、行うわけで、でも別に人に邪険にされて生きてもいいんじゃないかな、という考えに行き着く人は毎日お風呂に入らなくなるのかなあ。お風呂に入るを英語でtake a bath と表現することが、初めて学習してから今までずっと腑に落ちないんだ。
ダンゴムシの体を突っつけば丸くなる、という 不変的事実ってどこで学んだんだろう。そんなダンゴムシの防御反応を知らないまま生きている大人は何割いるんだろう、というのがホットな疑問だった。
この文章の要旨は、と問うならば、今の道で頑張りたくないなーという余りにも悲しい堕落、で三角四点をあげるよ