世界は今日も汚かった

すごいと思っていたものが実はすごいものじゃなかったり、かっこいいと思っていたものが全然かっこよくなかったり、そういうことに気付かず笑って生きたかった。1年前のこと。少し早いけど、去年の6月。6月って何してただろうなあ。私は色々忘れて、忘れて、忘れて、でも良くないことだけは覚えている。そこから全部流れ出て失ってしまったあの感覚がまだ脳みそを抉り進んだ先にこべりついている。それがあってもう全部が壊れてしまった。ガラスが割れるみたいに唐突に、ぱりんって。びっくりした。それまで重ねてきた全部が壊れた。見ていた夢から醒めるんじゃなくて、夢を覗き見ていたレンズを汚物で塗りたくられた。その頃ライブで絶対聴くことないって思ってたのに聴いたあの曲が本当に嫌だった。イントロが流れた瞬間目の前が真っ黒になった。きっと頭がその場から逃がしてくれた。何も耳に入れたくなかった。あの公演を見たときも嫌だった。赤色が穢れていた。歌舞伎町と同じで、全部レプリカだった。名前という概念に只ならぬ嫌悪感を覚えた。気持ち悪かった。それから少し経って、2月に聴いたあの曲が嫌だった。こう、何度も言葉にしてしまい申し訳ないけれど、自分が見たもの聴いたものは虚構じゃないって自分だけは覚えているから。それでもなんとか色んな手を替え品を替え思考を変えて、ここまで笑っていられたつもりだ。気付かないふりをしてあげて、壊れたふりをしてあげて、今も尚これからも尚永遠という果てのない時間と並行して歩んでいる。ひとつ、最悪の終わりを想像してみた。世界にとっては最高で私にとっては最悪の、無様な終わり。もしそんな終わりを迎えたら、全部本当のことを吐き出して生物学的に生き続けたまま死んでやろう思う。相変わらず呪っているしそれがもう止まらない。そんな中でも私は信じたいし祈りたい。そんな終わりが来ないこと、今あるものがレプリカじゃないこと、汚くないこと。すべてを吐き出せる機会があっても構わないんだと思う。そうした終わりさえも楽しみ尽くせば。でも、そうならなければいいなあ。
世界は今日も汚かった。