別の星の物語りが絵本になったみたい

髪が落ちていました。










優しいものだけを見つめたら優しい世界だなあと思います。
ふと考えたら先生も友人も優しい人ばかりで、今日だって声もあげず耐え忍んでいたところを救ってくれて、そういう世界にいるための学歴や所得をある程度の水準をキープすることの最大の理由は、優しくない人間を排除できるからなんだなあと思います。今はノートに痩せた猫の絵を描くこともないです。
そしてそれに完璧に恩返しできない自分が大嫌いだなと思う。
相変わらず自分は人間としてどこか欠けてるから、人の厚意をゴミにしてしまう。
自分が大嫌いだ。
だからどこか似てるね、と言ってくる人間が大嫌いだ。
自分と似ている人間は大嫌いだ。
そういう人間が決まって他人を規定する「私達」という言葉が大嫌いだ。
そんなに誰かと同じものになりたければ結婚相手を探せばいいし、同じ目的を持ち同じことがしたければ子供を作ればいいじゃない、って思うのに

まぁどうでもいいです
すべてがどうでもよくなるこの日常っていうのももはやどうでもいい
自分が大嫌いなのはどうでもいいけれど、大嫌いな自分に好かれている人々が不憫でならなくて仕方ない。
どうでもいい
しかし数ヶ月間が水の泡なのでしばらく文庫小説に身を潜めようと思います(ゲームを一日中プレイすると死にたくなるのは老いですか?と思ったけれどヨッシーのたまごというチョイスがダメなのかもしれない)。

最近は
筋肉少女帯
その後or続き と 別の星の物語り という曲が怖いです




ジロリの女 (1956年) (東方新書)

ジロリの女 (1956年) (東方新書)

『ジロリの女』が昔好きで、後半のヤス子を口説く流れが秀逸以外の何物でもないんですが
古書店で単行本を見つけたので改めて読んだ。荒唐無稽という感想が正しいのかわからないが荒唐無稽すぎて腹が捩れる面白さです。狂人ばかり
言い方悪いけど、ライトノベルと近現代文学の架け橋になりうる作家の一人だとずっと思っている。
例えば遺恨の書き出しとか

 梅木先生は六十円のオツリをつかんで中華料理店をとび出した。支那ソバを二つ食ったのである。うまかったような気がする。然し、味覚の問題ではない。先生は自殺したくなっていた。インフレ時代に物を食うということが、こんなミジメなものだとは。お金をだしながら乞食の自覚を与えられたのであった。

パワー



ビッチマグネット (新潮文庫)

ビッチマグネット (新潮文庫)

再読だけど単行本買って読み直せばよかった。初舞城がこれだったので初めて読んだときは何も感じなかったけれど今となって読めばわぁ、モラリストだなと唖然とする。
それを堅固に持っているから人間とか物語とかそういうものについて書けるし暴力的残虐的な作品を書けるのだろう。
こうしてモラルを弁えてる人ってさ、それが滲み出すぎていていくら覆面作家であろうが隠してあろうがある程度の漠然とした生活(結婚している など)が優に想像できるから、本当に怖いよねえ誰も気付かないと思いきやもう漏出し過ぎていて、恐ろしいですよ。気付きますよ誰でも。いくら叔父に惨殺されまくったり脳みそセックスとか書いてもモラルですよ?モラルに則りモラルで人を守って悲しくなりませんか?私はすごく悲しいですでもそういう器用さが人間を生きさせるのであ、感想という趣旨から脱線しました
どうでもいいけど作中で時間がわりとテンポよく推移するんだけど、「十九歳」「二十一歳」という具体的な香緒里の年齢が登場して彼女は成長しているのにそれらと各々同年齢で二度読んで私は成長できたと思えないので現実は物語ではないんだなあと思い知らされ、それを あたり前 と人は言う。また二年後に読み直そう。