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待ち続けた「あの頃のボクラ」にボクラは会う

2017年5月13日(土)

惡道を進め!~MAKE YOU FREE HEAVEN’S GATE~ 仙台長町RIPPLE


リプルは大変見にくい箱だった。
後方は暗くて、青い六面体のオブジェが端に点々とあった。

あまり覚えていないけれど、熱いライブだったように思う。
後方で見るライブというものは非常に難しくて、物理的・視覚的な障害のせいで前方やメンバーの熱が届きにくかったりするので、こういう箱は苦手だなあと感じた。
Mで踊るか死ぬか選べ!と言い放っていたのがかっこよかった

雨の日に流星雨っていうのずるい攻め方で、
「どうしても元気が出ないときもある、でも大丈夫大丈夫大丈夫、君たちの笑える居場所の感性はすごくいい!」
のようなことを笑顔で大丈夫と何度も言うぶうさんが、たまたまそこに居合わせた誰かの中で大きな存在となればいいなあ、と思った。
流星雨が終わったあとに、
えんそくは、ゴリラとかボールペンとかだけじゃなくてたまにはいい曲あるじゃんって思わせられる、20曲に1曲ぐらいにある
と仰っていて面白かった。
ゴリラとかゴードンとかを「バカにもわかる曲」と表現していたのがすきだった。


惡道を進め!~迷宮牢獄門~ 仙台長町RIPPLE



手加減した優しさに溢れた無料ワンマンの後のキレッキレの有料ワンマンの背筋がぞくぞくする感覚はこれが最後。サイレンが鳴って、総統閣下が声を発するまで息ができない緊迫感が至高だった。
どこかで、怒っちゃうよ?だかなんだかSっ気溢れる言葉をニヤニヤしながら発していてすごく良かった。
死に場所、深沢、ゴリラってきてアルバムの順序通りの流れだってなった。
君は何だ?君は何だ?ゴリラか?ゴリラなの?と、それに答える客の声、この謎の禅問答のようなものが非常に狂気的だった。
人間以上の人間に、みたいな、よくわからないけれどそんなことを
恥じらいも理性も捨てられるように、って。

屠殺に入る前がすごくかっこよくてわあああってなんかどきどきするしかなくて、
そんなに死にたがるなら全部貰ってやる、
まっとうにやってる、まっとうにやってるつもりでいる、まっとうな自分を殺す、屠殺してやる
断片的にしか思い出せないけれど、ぶうさんが確実に「まとめて殺してやる」って言ってくれていたのがすごくかっこよくてかっこよくて
そして私は「まっとうにやってるつもりでいる」って言葉をぶうさんが言ったことが奇跡みたいだ、と大袈裟に思わずにはいられない。
屠殺屋マン4号はとてもいい曲だ。
1回目のマイヒーローでは祈るように見上げ、2回目は誰かの手を求めるように手を伸ばす。
この曲の《ヒーロー》が、《私》のそういう仕草の対象であることが、私はすごく嬉しかった。
犬死にマクマーフィーで、《君》を《アイツ》と言い換える部分があった。全部犬死にだ、という言葉にはっとした。
「いつか燃え尽きるのなら“ボクは”夜を裂いて落ち、あの柵を壊そう」そして、犬死にはしないぞ、と3回噛み締めて言い残す。
この日の怪人ラボの夜は今までで一番良かったしこの先超えることもないんだと思った。
私は本当に、この曲を歌ってしまうぶうさんをずっとずっと正しいと主張し続けたい。
最高で唯一無二の怪人ラボの夜がつらくてつらくてつらくて苦しかった。
怪人ラボの夜の後にやるイルキメラキッドは、全てをリセットして強くてニューゲームみたいな空気にさせてくれる絶大な武器だった。

茶番ではストⅡネタとオダズナーさんが出てきたのが面白かった。
後楽園で僕と握手!と言い去るオダズナーさんが最高だった。

日々、宇宙色の途中のぶうさんの語りが、ぶうさんはもうすっかり大人なんだなあって、それは良い意味で、大人だからこそなれるコドナチャダルドだから、
この日のライブは最高だったけれどそれも通過点としてまだまだ先の存在する、そんな物語の途中を見ているようだった。

ここからもう殆ど覚えていない。
マキナからU.F.Oまで、流れるような絶えない青春の空気感で、1999年のブルースを思わず笑顔で聴いてしまう日がこれまでにあったっけ。
初日にやった1999年のブルースとは全く異なる歌で、
初日もファイナルもそれぞれが新しい1999年のブルースだった。
誰の歌が届いたのだろう、で俺?俺?みないに笑いながら自分の「歌」を指差すのが無邪気すぎるなあ、と。
大計画で噛みしめるように、「そう、同じだからね」と言う。かっこよすぎて眩暈がした。
うちに帰さない!みたいなことを言っていて、そこからのキャトル。

仄暗いアルバムだけど今までで一番楽しんでツアーを回れたと言っていた。
私が初めて行ったワンマンツアーは惡童のススメのツアーで、その頃と比べても全然違うぶうさんだなあ。笑顔を絶やさないなあって
仄暗いっていうのも初めは分からなかったけど、今はすごくそう思う。

ガンダーラツンドラ
ツンドラを溶かすぐらい、のようなことを仰っていた。
狂ったセカイは「全部」に向けた曲になった。
どこかの曲前に「強い俺の歌を」みたいな言葉を使っていたことが嬉しかった。
ぶうさんがぶうさんを強いって言い切ったことが嬉しかった。
あと何の曲のどこかは全く覚えていないけれど、マイクを指差したときわあってなった。

本当はこれで終わりのはずだけど、
13枚目のシングルのことや赤坂BLITZのことを言って、最後に宇宙大天使土曜日をやった。
赤坂BLITZの狂い咲きハルマゲドンのテーマならみて、宇宙大天使土曜日は重要なものとなってくるんだと思うけど、この日に宇宙大天使土曜日を特別な曲として歌ってくれたことがすごくすごくすごくすごくうれしかった。
だけど少し苦しかった
《春色の日曜日》って、素晴らしいほどに美しい言葉だなあと思った。







次の日のインストアイベントで特別学級の子どもの真似をするぶうさんが最高だった。
何かの質問で、やっぱバンド側と客は赤の他人なんだなと感じたけど忘れた。

仙台は雨が降っていたのに、飛行機で雲の上に到達したら真っ赤な夕陽が待っていて、そんな晴れた空で揺られながら大阪へ帰った。
空から空を見上げても宇宙なんて見えるはずがなくて、でも地上より手の届きそうな距離だから窓の外を見上げながら何でもないことを願っていたら白い物体が現れ、寝惚け眼にはそれがフライングヒューマノイドに見えてしまった。正体はおそらくはるか上空を飛行する別の飛行機なのに私は明日に絶望しながら非日常という希望を期待してしまった。
空港からのバスの中ではずっとバターロールトレインを聴いた。

ツアーは渋谷以外行った。
そこまで大規模ではないにしてもこんなに津々浦々ライブハウスを回るのは人生で初めてじゃないかなあ。
バンドを追っかけるとか、必死なバンギャとか、そういうの、正直キモイなあとずっと冷めていたのに気がつけばたくさん追い求めていた。何度も何度も、不思議だなあとぼんやりする。
このツアーの中で、仙台フォーラスから駅へ向かうまでの友人との会話が一番愛に溢れていた。
けれどやっぱ、つらいなあって少しだけ悲しくなった。
悲しくないけれど、他者の幸福を願うエネルギーは自分の色んなものを喪失させて、
勿論自分の幸福だって、相対的に測ってしまうと幸福なんかじゃなくて君はペテンにかけられているんだよと嘲笑われてまう。
幸福に相対的価値なんてありませんが。
今の私には自分の物語を終わらせる勇気も力もないし、まだ青二才のくせに終わらせようとすることも愚かで、少なくとも物語のクライマックスには到達させる必要がある。
せめて人の物語を覗くことで全てを忘却して生きている気分に陶酔している。
安息なんてそんなものだ。
から笑いかもしれなくてもそれを良しとして笑えている自分であることにしている。

狂い過ぎていて吐き気がします。
吐き気がするほどロマンチックでもなく、吐き気がするほど気持ち悪いです。
言葉は書けば書くほど価値が下がってただ頭がおかしくなってしまったと認められたり、
伝えたいことが何一つ伝わらなくて嫌になったり、
自分の感情に価値がなくなるこの先が怖いです。
すきだとかかっこいいとか最高とかそんな概念は対応する言葉の上限にとっくの昔に達していて吐き気がします。
そしてそれらが全て俗的な感情に成り下がってしまうことにも吐き気がします。

一番邪魔なのがどう足掻いても忘れることのない刷り込まれた記憶で、
こんなに生きても記憶が邪魔をして足がすくみ、怯え、呼吸リズムが崩れて、でも記憶のお陰で高望みせず自分には本当に守ってくれる家族も愛する人も味方もいないことを理解させてくれる。
過去の記憶の根源であるそれらを「転換点」と呼んでしまえば、そこから友情も家族も愛も何もかも崩れてしまって、いくら金や労力を与えられる存在であっても永遠に解法なんて存在しない無理難題と共存する運命から逃れられない。
これまでに、私に嫌な記憶を植え付けた全ての大人を呪って呪って呪い尽くす。
家族でも友人でも好きな人でも愛する人でも傷付けてきた人間を、一生許さない。
笑っていても許していないからな。
一番不要なのが記憶も、思考も、それの発端となるこの頭で、「首を切る」という発想は斬新すぎるなあと今更感じる。

自分が変わってるとか霞んでるとか特別だとか一度も思ったことないけれど、
20年以上生きてきて気付かなかったデコルテ部分を弄る癖を指摘されて、とんだ変態だなと自分に笑ってしまったので、なんかどうでもいいです。全て本当はどうでもいい。
私の言葉にはいつも欺瞞しかない。