人形たちの夜

装丁が良い


I<春>、Ⅱ<夏>、Ⅲ<秋>、Ⅳ<冬>の4つに3篇ずつ収録されている連作短篇で、長篇としても捉えられる作品。

あとがきより

Ⅰにはプロローグと母娘二代の業を、Ⅱは反対に明るい夏の若い男女の愛と性を、IIIは推理小説めかして暗号解読を、Ⅳでは“兄”の立場からする憎悪の哲学を語ってエピローグとした。

<春>では少年・卓の生い立ちと、人形研究家である鬼頭と人形のような愁いの眼をした女・砂美との出会いと砂美の罪、そしてその母・久美の獄中からの手紙が描かれる。 片輪の男にだけしか惹かれない、歪んだ不具のこころをもった久美のフェティシズムに満ち欲と情に燃えた人生が思わず息を呑むほどの美しい表現で『跛行』に記されている。

<夏><秋>と連続性の無いような作品が挟まれるが根底で共通する「人形」。

そして最後の<冬>では人形研究家・鬼頭に戻る。鬼頭は<春>の卓の生い立ちが記された日記に登場する源治であった。卓は渾身の憎悪をこめて人形に釘を当て金槌を振り下ろしたが、一連の記録は全て卓の主観であり、源治もまた卓を憎悪し“復讐”を試みる。『憎悪の美酒』にてワインの如く示される源治の憎悪、「人工の憎悪」と表されるそれが、酩酊を催しそうなほどの狂気を孕んでいる。

 私の考えてきた愛と憎しみとは、よくいわれるように表裏の関係ではない、それは正数と負数ではなく、実数と虚数の関係だというのが私の結論であった。人はあまりにもこれまで実数すなわち愛だけを問題にし、その四則演算をくり返して倦まなかった。だが人間の心はもともと複素数の形で成り立ち、虚数すなわち憎しみへの考察なしに理解のつく筈はなかったのだ。可愛さあまって憎さ百倍というぐらいの俗な認識で、どうして心の不思議を探り得よう。母子とか夫婦とかの愛情が実に屢々実数だけの問題として語られるのを、私はつねに苦々しく眺めてきた。だが、いま初めて私は、かつて知らぬ言葉をこの耳に聴いたのだ。
 貴腐。貴と腐。この矛盾する二つの概念がこともなく一つの言葉に納まり、腐敗がすなわち高貴に変じ、高貴はまた腐敗を伴わずにいない世界がそこにあった。

入れ子構造に魅せられた。中井が描く女性の影は恐ろしい程に幻妖で美しくて、己の汚れ切った中身を鏡写しにされているような感覚に陥る。

人形たちの夜 (1976年)

人形たちの夜 (1976年)

胃が痛い