「最初に二人で見てた物語」にサヨナラ

昼間はほとんどマクマーフィーについて考えていた。
たぶんもっと分かりやすい曲だし、私が今まで考えてきた中で一番妥当な答えもあったはずなのに、どんどんマクロな世界になって収拾がつかなくなる。
たぶん、過去の自分を殺すほどの人なのに、その過去から分枝する世界線がどうしても忘れられないからこうなってしまっているんだと思う。忘れられないとかけば覚えていたという過程が存在するけどきっと違う
思考を順序立ててまとめるのがすごく苦手なんだけど女ってだいたいそういう生き物

夜は研究室の飲み会
特筆する点なくことなきことを得た

帰宅途中に一気に血の気が引いて空虚になった
どうしようもなかったしどうしようもないから諦めるしかなかったしこれからも諦めるしかないから諦めた
帰ってきて怪人ラボの夜をずっと聴いた。
「諦めないよ」ってところだけずっと反響していた。
私には一生獣のモノサシで作ったレプリカは分からないものだったし、アリス・エクス・マキナももうよく分からないものだった。
怪人ラボの夜が新たに作られて本当によかった。これだけはきっと永遠だった。ここで止まりたいし後ろにも戻りたくなければ前にも進みたくない。
どうせこの程度の世界だったのなら生きたくなんてないに決まってる
私が自分の死を願うのは世界がしょうもないからなんだけど君のおつむでは一生わかることのないので残念です、遺憾というやつですね
君っていう意味のない二人称はどうでしょう。

流行りのマストドンをmstdn.jpで登録したんですが、
581cというアカウント名を取得できたので僥倖だった。という自慢をしたくてブログを書きました。
適当に書いてたらフォロワーが増えると訊いたから適当に書いてたのにフォロワーがふえません
ツイッターが私の中で死んだコンテンツだから上手く使おうと思います


昨日書き損ねた

寝る前に読んで泣いてしまった。ノスタルジーの権化だった……こういう題材で泣いてしまうのは老いた証拠なのかなあ
土曜日の午前中だけ学校に行っていた少し昔のお話。小学1年生の「世界」が、距離感・空気・時間の推移の間の空白 どれを取ってもリアルで絶妙。
おそらく、というか確実に福島鉄平ショタコンなんだけど、少年に対する性愛を凌駕して少年への合一志向すら見られて、巧妙だなあと思わず溜息が溢れる。
ショタコン具合が滲み出た作画が大丈夫なら90年代に小学生を経験した人は読んでみる価値があると感じる作品だった。

余談だけど私、悪名高き1995年生まれ世代だから(早生まれだから生年月日は違うけども)、ちょうど土曜日が全休になって一度たりとも土曜日に小学校に通わなかったから若干世代が異なるんだなーって思ったので真価に到達できてないんだろうなあって
中学は最初私立に通ってたから土曜日もあったけど


たくさん文字を打ったらつかれた
なのに常に文字を打ちたいぐらい文字を打ちたい
総括すれば犬死にマクマーフィーのボクみたいな気持ちだよ