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世界は血まみれのキャッチボール

夜中から色んな感情が巻き戻されて、消えたくて仕方なかった。
昼から大学で研究発表を控えていたのに種々の現実を受け入れられなくて駅のトイレで泣いた。解決しないから電車に乗った。発表はなんとか「普通」に終えることができて、満足いかなかったけれど先生に褒めてもらえて期待してると言われてうれしかった。健常者を装うことに成功した、という安堵。
学生の本業は勉学だし、真摯に取り組めば評価してもらえる世界だ。ここに「不条理」は存在しない。

私が厭倦するものはもっと矮小なものだったのかもしれない。
ツイッターに色々書いたらお気に入りをたくさん貰えてうれしかった。
無意識的に書き連ねたけど、「暗在系の可視化」が私には必要だったのだと悟り、それは近しいところではハルさんや、大槻さんが既に執り行ってくれていたのではないかと思い安心した。きっとそんなもの松永天馬でも良いんだと思う。
私は彼のことはあまり好きじゃないけれども、好きじゃない人を肯定してしまうほど打ち拉がれている。
どうしても肯定してほしくない人種がいて、それは彼らは肯定していないように感じた。天馬は知らない。
だってそれは彼らからしたらレプリカだから。
私からしてもレプリカだから。
そんなところで生きればよかった。神聖かまってちゃんとかシロップとか聴いてずっと眠っていればよかった。
中学生の時に耳元に流れるのはBerryz工房やドラマCDやオナニーマシーンやハイテクノロジースーサイドだった。

京都四条のファーストキッチンで雑穀米入スープを食べた。その後文房具屋に行って諸々購入。最近の2リングファイルはスタイリッシュな色をしているなぁと少し驚く。
帰って前髪を切ったら思った以上に短くなって、最近酷く肥えたからまるでブルゾンちえみのようで生きるのが嫌になった。
2週間前から中井英夫のエッセイ/評論を読んでいるけど、電車で数ページしか読めなかった。明日からは論文を1日2報読めたら満足すると基準を作成した。

先日ツイッターのフォロワーにブロックされて、私という生き物は健常な世界では癌でしかないことを痛感してブログをちゃんと書くことにした。
日々の自己肯定で生き長らえて、どんどん溝は深くなり、嘲笑われ、それでも生きていかざるを得ない。きっと健常な人間からしたら全て仄暗いで片付けたら良いんだと思う。
誰にも肯定してほしくない。私は私でいていいんだという理由付けもいらない。

特別欲しいものが無い