思い切り手を握ってもう一度あの柵の外へ

仮題で歌われてきた曲も、最後の最後に聴けない曲になって私が聴いてはいけない曲な気がしてきて高崎の新幹線のホームで消えようかと思ったことを思い出した。


昨日のブログは衝動的に書いて下書きに入れていたものを大幅に書き換えてインターネットに上げられるものにしたから、すごく平穏で何のことか分からないと思いますが分からない方がいいこともありますよ私が何を以って私なのか、知らない方がいいですよ?私がどういう家庭に生まれどういう人生を歩みどういう環境に居てどういうことを知っているかなんて知らない方が幸せだよ?例えば、これを目にしている人の名前や住所や家族のことや行動範囲や過去や誰が好きかとか誰が嫌いかとか私が全て知っているかもしれないですよ、それってすごく怖いですよね?だから分からなくて当たり前なんです。人間は。言葉にしないという優しさは、やはり悲しいのだけど、誰も傷付けない最“善”の選択肢。
ごめんなさいってずっとずっと思ってる。
ごめんなさい
でも何で世界は私が一番進んでほしくない方向に進むんだろう