もう君に辛いことなんて何一つ起こらないよ

大阪に帰ってきて現実を片付けていた。部屋の掃除とか学業とか。
生まれてからずっと健常者ぶってたら私はどんな過酷な現実に煽られても笑うことができるのですがこの器用さは誰からも理解されなくなるので、つらいときにつらいと言える人達が羨ましい
そんな人生です。

しかし昨日までが夢だったとかではなかったし、千年先まで続く春色の日曜日なんて何処にもなかったなぁ。
今のままじゃ。
何てあんなに頼ることができない程度のものだったんだろう。


この前の土曜日の始まりに歌われた「宇宙大天使土曜日」という曲を聴いてから、私はこの曲をもう一生上手く聴けないし、聴きたくないなー、と、ずっと放心しています。
それだけのこと。
《もう君に辛いことなんて何一つ起こらないよ》なんて歌う強さはどこかにあったのかなぁ。


いい日があるから生きていこうと念じて友と別れ、独りで生きようと意気込んでも結局ずっと泣いてしまっている。
こんなに毎日泣いても泣いても枯渇しないのおかしい。
疲れる。
しかしもう言葉が詰まって無益で無意味に泣くことしかできない。

夢が本当になればいいなっていつも祈り続けているけれど幻想だなぁ。
私が見ていたのは自分の心だったんだろうか、それは果てしなく滑稽だね。


どの世界も全部こんなしょうもなさすぎて、全て「想定内」だから、私は頭が良すぎていつもこうなんだなぁと悲しくなる。
頭が良いから、いつもいつもいつも誰も知らなくていいこと見なくていいことそんなのばかり知覚しちゃって、当事者には自己正当化の餌として吸収されて、先生や大人には褒められず寧ろ咎められ、同級生からは邪険に扱われ、人生も世界も、ミクロでもマクロでも全て同じで、今までもこれからも変わることはない。

そんな私のことは、きっと、100パーセント適うことはなくても少しぐらいは過去の人達が歌ってくれているから、過去の人たちの背中を見つめて、あとは死ぬ勇気を貰うだけだ。
自ら死を選んだ偉人たちは頭が良すぎて、世界の全てが汚れていて虚構であり、解決策なんて本当に何もないことを見抜いてしまい絶望の果てに死んで何でもなくなったのだから、私だって怖くない。
嘘だよすごく怖いけどどのみち無理ですねこれ

「死にたがり」なんて無能だから所詮死にたがりなんだろ。
だから沢山の在り来たりな一般市民は「死にたがり」で、その程度に留まる。
そしてその程度にしか人間の「声」は届かない。

「歌」って所詮そんなもんかぁと全てに呆れ返っていたけれど、日曜日に凶子さんの「歌」を聴いてやっぱ私の望みはある、って安堵して、彼女の凄さは「歌」にあってそれがいつしか存在にもなり今があるんだなって。
常套句だけど本当に魂が震えた。
これからどうなるのかどうもならないのか、そんな憂慮ばかり付き纏って眠れなくなる。


君がサンフランシスコに行くなら、君の髪に花をつけていくと良いよ。
そうすればこんなに遠い異国の果てでも、君は君を分かってくれる人に会えるんだ。

日曜日はきっと!