いい日があるから生きていこう

生活というものはそこまで他者を意識して進むではない。ので、ちょっとよくわかんないことが多い。
驚愕しています。
私は暗い人間だから、なんだか関わる人すべてにそれを伝染してしまう素養があるらしくて、それを受け入れられる程寛大な人間ではないというか、社会的に未熟な学生は、そんな義理もないので……。
共依存よりも、そうした暗い自分を照らして見つけてくれるサーチライトを求めて生きているの。
私につらいと伝えられる程度につらい人は、宗教に入ればいいと思う。と助言する度に非情な女だと絶縁されてきたので私は間違っている。
けど私そうしていかないと頭おかしくなりそうなんで、で、そこから私はそういう相手にどうすればいいのだろう。
同性だから満足がゆくほど慰められないし、人生相談に答えられないぐらいには人生躓いているし、危ない橋を渡りつつ近道して生きているつもりだ。ので
人間は皆同じなんだな。残念だよ。
他人を羨ましいなあと感じる。
人間をやめたらかっこいい
私は疲れた
疲れた

つかれた
いい日があるから生きていこう、と心で唱える

去年の年末はつらくなったら合宿動画のキャンプファイヤー部分を繰り返し視聴していた。
あれはとてもいい動画だと思う……。
合宿は行ってはいけないものだと思っていたけれど、友人が来てほしいと言ってくれたことがとてもうれしかった。楽しかった。いい日があるから生きていこう


放置気味の音源を少しだけ消化した。
蜘蛛の糸第二章の歌詞が、救いがなくてびっくりした。何故こんな歌詞を書こうと思い至ったのかと疑問に感じるけど時代背景(精神面を筆頭に)もある。
アンサーソングというか、続編というか、歌詞を変える意図がよく分からない。
大槻さんを理解できたことは一度も、一片たりとも無いので、彼の歌詞を理解できる人を純粋にすごいなと感心します。
それにしても蜘蛛の糸でぶうさんが《あなただけはとても好きだよ》と歌えば切ないラブソングに聴こえてしまうんだけど……それがすごく良いと思うの。
やはり私はぶうさんが、その存在自体が確固たる指標となるような大きな人間になってくれなければ悲しい
誰よりも理解したがりなくせにぶうさんを理解できたこともないので、自分の小ささを感じる。

どう転んでも結局ライブに行きたいよーとなる自分にも悲しい
しかし友達と出掛けてsnowで自撮りしながらご飯食べて帰宅して撮った写メを悲しみに暮れながら消去して罪悪感に苛まれながら眠りにつくことを楽しいと感じるのも、とても烏滸がましい。
忙しい