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哀しい話そんな現実がおとぎ話じゃないから不思議

昨日はデジデリオが優しすぎるからつらかった。
間違いなく一番優しい曲。嘘みたいに。
世界が終わるときなんて絶対来ない。愛もない。だから余計に優しい。もうそれ以外にない。この曲を上手く聴けるからこそ私は本当にここで生き進めてはいけないんだ。
全てが空想。
デジデリオには優しさしかなかったから今までの自分が台無しになって、本当に悔しい。嫌だ。
それでもデジデリオこそが美しいままでいられる世界で、そういう夢をずっと願って見ていたかった。
時々優しい歌が果てしなく憎くなってしまうことがある。
優しくされなければいけないほどに愚かな自分が憎い。
クソみたいな人生で人から見下されて当たり前でそれが人間性に反映されてしまってなめられやすくて憐れなのに、辺縁において自尊心が最悪なくらい高いから、知らずのうちに可哀想だとされていることが憎い。劣後感が募る。

バンドが善良な世界だって思うのは「あ、私つらいんだ」って勝手に思わせてくれるから。
ヴィジュアル系は女に餌を与えて生計を立てているから女の持つそれを埋めることに顕著で、はい私は今つらいです!つらいよーって自棄になっても、そうだね君はつらいんだよーっていう肯定感と似た自己存在証明に通じる感情に勝手にさせるような歌を歌う。それが統失であろうがボダであろうがサイコパスであろうがそう勝手に仕込んでくれる。
本当に有難いよねこの世界。末恐ろしいです。
過去聴いてたもので足りなくなったら、違う歌に縋っては、まだ私つらいのーって思うだけ。
今いるところなんて当たり前の幸福を切り捨てているのは同情で、それを自己正当化の材料にできちゃうんだよ?面白すぎでしょ。ちょー楽しいよ。
同情するなら金と愛をくれ!時間を返して!なんて一笑に付されるのみ。
昔からヴィジュアル系はすきで、でもいつの間にかよくわかんないままライブを追求するバンギャルになって、色んな手を借りながらつらいって思い込んできた。
バンギャルには美しい人なんていないよ。追うことの美談は忘れた。

なんか生きててすみません
すごく長くて短いような目まぐるしい一ヶ月だったように思う。
自分のブログを読み返したら気持ち悪かった。それを気持ち悪いと感じることも罪深くて、もうひとつ快活な思考には導けそうにない。
思い出さなければいけない瞬間には、やめて、って懇願したくなる。
それでも私はタイヤ公園に聖地巡礼しなくてはいけないし、またブロードウェイも行きたければ、旧古河庭園に薔薇を見に行きたいし、東京の街をなんとなく歩くのがすきだし。まだまだやり残したことが沢山あるし、二年半ぶりのワンマンツアーもいつの間にかやってくる。七月はきっとつらいけれど、その先もきっと一番すきなバンドが永遠を歌ってくれているから楽しいことが保障されている。
だから死んだりしないんだ。今死んだら恥だし、誰かの身代わり。そんなのでもいいかもね、でも私はだめだとおもうよ。
ていうか、劇薬や毒物が簡単に手に入る環境で生きているので、本気じゃないんだと思う
知り合いで死にたい人いたらあげるので連絡ください(自殺幇助の罪に問われたくはないから共に死のう)。

一段落したけど以前のような自由はもう無くて心許ない。とにかくえんそくについて考えようとしたけどどこから考えたものかと悩んだ。
新曲も歌詞やメロディを覚えていよいよ汲み取れると思ったら暫くライブがなかった。なんだかんだ12月から毎週のようにライブに行っていた気がする。
そこからの落差が怖いような、でもそれが私のいつもの生活だから、別に寂しいと感じるのも可笑しいもので。あああもうやだ、何も手に入らない人間と何でも手に入れちゃう人間。私は前者で、後者をすきになる。ないものねだりからさらに巨視的なないものねだり。
そんなことよりえんそくについて考えたい