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彼女にはもうこうするしかないのだ

ライブ

2016年13月13日(金)
十川十三の四夜怪談-第三夜- 高田馬場CLUB PHASE



アコースティックから。十川十三は普段のえんそくではやらない《仄暗い歌》を歌ってきた、みたいなことを。
「まだ十川十三としては新年が明けた感じがしなくて、今日を終えてやっと2016年です。だから今日は2016年13月13日です。そんな今日にぴったりの曲があります」13月のマリー。
個人的にドレミ團を昔聴いていたので、まさか十川さんがやると思わなくてうれしかった。第三夜とゲストが発表された時、もしゲストが怪人だったらマコトさんがやったのになあと思っていたばかりに
《ため息で焦らすのはやめて》というところが色っぽくて、まあそこはそうなんだけど、タイトルより中身としてはこの曲は女性同士の恋愛を歌っていて、だからただ恋愛の歌と括るものではない。そしてそういう歌を歌う姿は非常に珍しい。だけどまあ色っぽいなあとだけ書く。この先もこういう歌を聴く機会はあるのかなあ
犬神凶子さんと共にリンゴの唄、そして都合のいい女。私は何故都合のいい女を選曲したのかよく分からなくて、それは私が都合のいい女だから、というわけでもなくて、歌詞をなぞるように聴いていたらそう思えてしまって、
掛け合ったりひとこと交えたりコミカルに歌っていたが、心臓に空いてしまった穴を穿り返されるみたいな感覚で
凶子さんはちゃんと十川さんやギタリストの方を掘り下げようとしてMCを進めてくださるし、その上女性ならではの視点での喰い込み方だから普段は進まないような着地点に落ち着いて、珍しい姿を見ることができて大変ありがたく思う。
サブカルに関して「鞄にはいつもドグラ・マグラ」という表現が出てくる彼は廃り切ったサブカル観の純潔を保っていて、すきです。
十川さんはタコシェを知らないそうだ
魔ぁいいじゃん、は情次さんが作った魔将軍の孤独を歌った曲らしい。明るく歌っていた。Bメロで、上を向いて、正面に顔を戻す瞬間が力強かった。そこは《ぶうさん》だったなあと思う。



トリに十川十三バンド形態。
十川十三のリンゴの唄といい、オリジナルはヘヴィなサウンドで曲としてすごくかっこいいのですよねクラオカさんが携わったのだろうか。
模造品の灯火の、《欠落》という歌詞で小指を折り曲げた「四本指」の左手を見せて歌う。

MCでは「誰の為の歌なのか」について触れていた。「歌」への彼の思考。
「えんそくは、ボクの為でもあり、みんなの為でもありながら、パラレルワールドみたいな、100人のボクに向けて歌っている。
十川十三は、ボクの為でもなければ、みんなの為でもなく、誰の為でもない。ボクが勝手に作った架空の人間を歌っている」
そんなことを、少し辿々しく、一つ一つ言葉を選びながら言っていたようだった。すごく慎重に発言していた。
「母親が帰国子女で父親はそりゃもう大層な変わり者で個性的であることが良いと教育されてきて普通のことをすると『あら、そんなんでいいの?』とボクの両親は『あら』とか普通に使う人で、そんな中でやはりアタリマエや普通の幸せに対する憧れみたいなものを抱いた、そんな幼少期を過ごしてきました」
ソレを歌うことで、自分自身毒にのまれてしまうような気がして、だから十川十三が終わることに「安心」している、と。終わりを「死刑宣告」と表現していた。
消化(腹を触りながら)して昇華(手を開き上を見る)する、という身振りが面白かった。

冷たい頬に入る前の言葉を失念してしまって、上手く思い出せないのだけど
「あまり嘘をつきたくないのですが」という言葉が妙に引っかかってしまって上手く消化しきれない
歌詞の意味などで選曲していて、僕が初めて買ったCDのアーティストの曲で、「今」の気持ちに当てはまる曲、とか仰っていて、
「今」に冷たい頬を選んだ十川さん、いやたぶん十川さんじゃなくて、ぶうさん。ぶうさんは本当に狡い。
誰の為でもなくて、誰の事でもなくて、なのにすごく苦しくて何もかもが嫌になる
消えてしまいたくなる

バンドでの13階の女は初めてだった。原曲をカバーした特撮の13階の女を更にカバー。
今回頒布されたCDRにアコースティックバージョンが収録されていて、こちらは聴いていると悲愴な気持ちが漂ってくるのだけど、
ライブでは口許に笑みを浮かべながら歌うから、本当におかしいなあ、と見ていた。だから初めて聴いた第一夜では「良い」んだと思ったんだ。
この曲は入りがまさに壮大なのだけど、そこから十川さんのボーカルが乗ると、あまりにもこの曲の歌詞を任せられないような優しくて綺麗な声で。
全然信頼できる人なんて、と、みんなのうまい口車、というところに憎しみが込められているようだった。
ラストのサビを繰り返すところが、私が見たことのない彼が存在して、本当に凄かった。
バンドだと気持ちが入っちゃいますね、みたいなこと仰っていたけど、本当に「誰か」が憑依しているみたいで、でもその誰かは「誰でもない」から、幻覚のよう。
最後はオリジナル曲小指の歌。
前回聴き取れなかった歌詞も聴き取れた。たぶんBメロで、傷となって欠落が可視化され、みたいな歌詞が追加されている。《欠落が可視化》って表現は第一夜からずっと頭に残っている。
印象深くて、あああってなったところが、間奏の終わり際かな。鮮明に覚えてはいないけど、何かを考えてそうな顔をしてらっしゃって、それを見て私は、ああなんで今日にそんな顔になるのなんでなのいやだなあって苦しくなった瞬間に、すごい良い笑顔で歌い出して、そう笑って歌い出したんだ。私はそこにいろんな気持ちを委ねられて深く安堵した。
捌ける時、いつもの「えんそく」のようにお立ち台の上に乗りフロア全体の客と目を合わせる、そういう「みんな」に敬意を表すことなく、フロアを振り返らずに去っていったのが良かった


13月13日は素敵な夜だった。間違いなく素晴らしい公演だった。
ここに来て十川さんに不安を解消されるとは思いもしなかったけど、安心感を与えられてしまい色んな感情が安らいでいる。
十川さんに安心感を与えられる、そういう感覚は伝わらないと思うし、
《誰》が歌っているのか、という解釈で、この十川十三という四夜限定の企画は受け取り方が大いに異なってくる、と感じる。
そして、私は《十川十三》の「歌」がとてもすきだ。彼と、彼の歌を愛している。