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日記

駅まで歩いている途中、横断歩道の真ん中で鳩が轢死していた。周りに羽根が数枚散らばっていて、鳩だと判る程度の形状を保ちながら無残にも赤い袋状の内臓も露わとなっていた。
帰りに同じ横断歩道を渡ると、あまり人気のない場所だからか死骸は清掃されておらず、同じところに存在した。
あれから数時間経ちたくさんの自動車が上を通過したようで、プレスされ数段薄くなり、内臓の赤は無くなっていた。
色を判別できないくらい微塵になって何処かのタイヤに付着しているのだろう。
それでも依然として羽根は散らばり、嘴から頭、腹にかけての輪郭ははっきりとしているから鳩だと認識できる。
鳩サブレみたいなものだと感じた。

黒鳥の旅もしくは幻想庭園

中井英夫のエッセイ集。
Ⅰ オーストラリア幻想旅行/Ⅱ 白鳥盗人・ほか/Ⅲ 百科事典について/Ⅳ 色彩・その毒について
の四編からなる。

Ⅰではオーストラリアへの一人旅の記録で、旅の理由というものが氏の中に棲みついた黒鳥を故郷へ返す為。『黒鳥譚』とも繋がるもの。
Ⅱは戦争や憲法などに対し論じていて、左翼的。
Ⅲは百科事典の話。コンピューターの台頭。
Ⅳは幅広いものを取り上げてる。「国民服の菊五郎(P165)」のような娯楽(なのだろうか?)に対する見識は現代と通ずるものがある。
エッセイとは真に思考の垂れ流しで、氏の思考というか観点はユニークで最高だなあという稚拙な表現しかできないのが口惜しい(感想付けるものではないが)。散在する比喩や色彩の扱いが繊細で奇麗だからすきです。
しかし彼はゲイなのかバイなのか結局どっちなんだ。

約四十年経った現代で読まれていることが不思議というか、古びているけれどもそこに在り続けるっていう真実は書物の醍醐味だ。
私は書を捨てません。し、「邂逅」という言葉を大切に信じたい。

影響されやすいので田端か西荻窪に住みたいです。

許さないからこの人生めちゃくちゃにしたこと

今日は午前中に病院を予約していたのに外出が億劫になって行くのをやめてしまった。
またひとつ自分を嫌いになった。
カエルの為に鐘は鳴るをクリアした。戸高一生はすごいなと感じた。

脱価値化に走っている。こればかりは絶対に良くない。
きっとこれからは楽しいし、あの2日間は悪い夢だったなんて逃避せず現実として受け止めなければならない。
それぐらいの諦念と薄っぺらさを欲している。
このまま薄っぺらく何も考えずに生きよう。
薄っぺらい余生にしよう。
世界とセカイの間の深い溝に落ちてしまった。

例えば、青い蜘蛛よりも赤い薔薇を綺麗だと言った方が、抗うつ薬を服用している目的よりも服用しているという行為を顕示した方が、
何千倍も今よりも生きやすい。
理解されやすい。
理想を描くことはもうしない。

平坦化

感情が平坦で特に何事も無く過ごしているけれど、これってもう「どうでもよくなった」という域に突入してしまっているのかと考えると望みは存在しない。
とか、文字にするのも煩わしくて、徒労に終わるだけだし。

時間の経過って全てを何も無かったことにするし、それは時には快活に働いてくれるかもしれないけれど、どんどん大切にしていたものを忘れて消し去ってしまう。
なんか、全部忘れた。
思い出せない。

人の為に笑ったり泣いたりすることは苦しみしか生まない。
だからこれからは、私は私の為に笑ったり泣いたりしなければ、と思う。
誰かに無償の愛を捧げているつもりだったけれど、そうではなかった。
私は常に見返りを求めでいるし実際に存在した。
だから何も返ってこないのに最高級の愛を捧げている人々を見ると、うわぁ凄いなあって尊敬するし、可哀想に見える。
騙すことすら正当化されて、保身の前で身動きを取れない。
それでそのまま死んでゆく。
何か、それでも幸せそうで羨ましい。
鈍感と知能の低さは盾である。

どうしても許せない好意と考え方がこの世に存在する。
「価値観」はやはり個人の根底にあるもので、それと合わなかった、だけで帰結させてしまえばいいんだろうし、
「愛」の下で厚く保護された適合しない思想の容認だって、それが「視野が狭いことによる全能感」だと知ったらどうでもよくなる。

悲しい。
とか1ミリも思えなくなった。
悲しい、苛立つ、だから糾弾する、それができなくなる。
浅はかな世界をただ見つめるだけも、きっと愛に起因する優しさだよ。褒めてよ。

ロックバンドが好きだ。
2次元でもアイドルでもニコニコ動画の歌い手でも良いはずなのに、それらと絶対的な相違を勝手に見出して期待していたからだ。
でも正解はどれも子供騙し。
本物なんてどこにもない。

まあ簡単に言い纏めると、かっこよくなくてつまんないものはさっさとゴミ箱に捨てるべきなんですよ、ということ。
優先座席だって座っていてもよっぽどのことがない限り怒られない。
私の人生はこの先も何もない。あるのは記憶や思い出という夢だけだ。

経口の愛憎だって獣と同じ

積み本がたくさんあるのに本を3冊購入した。
新書と、この前発売されたオーケンの文庫本と、あとはオーケン沢木耕太郎が好きだと仰っていたから、沢木耕太郎の著作を買った。
オーケンのエッセイは読むけど小説は読まないという人がいるように、オーケン沢木耕太郎のエッセイは読むけど小説は読まないらしいらしい。暗いから。こんな暗いの可哀想になって凹む、みたいに嘆いていらっしゃった。だから短篇集を買った。暗いから。

京都の河原町ジュンク堂で買った。
書店って私は基本的に決まったところしか行かないけどたまに違う店に行くと興味深い。
書店の思想・哲学・宗教・精神医学のコーナーを見て回るのが凄く楽しい。
取り扱う本を見るこももだけれどそのフロアの空気感とか、匂いとか、居座っている客とか、それら全てを観察するのは最高の娯楽だと思う。
河原町ジュンク堂はそこに清涼さが微塵もなくて少し息苦しい。民族宗教の棚を至近距離で見つめている若者が居た。怖い。
私はやっぱ梅田の茶屋町ジュンク堂が好きだ。空間も顧客としての心も解放的になることができる。
5Fの閑散とした空気が心地良くて、疲れた時はたまに居座る。
しかしこうしたコーナーに長居した後店から出たら宗教勧誘を受けたりするので、疲れた時でも意志は常に強く持たなければならない。

梅田は駅の近くに紀伊國屋書店があるけれど、あれは本当に駄目。アクセスが抜群だから常に人に溢れ返っていて、前述したジャンルのコーナーにも人が集う。カップルが宇宙学の本をファッション感覚で手に取る。喧騒。本屋らしからぬカジュアルさ。その位置付けはブックファーストに任せたら良いのに。
人混みは怖いです。

神戸三宮のジュンク堂は本の日焼けが激しいけどあれは商品としてどうなんだろう、とか、この記事に書いた内容全てを観察す普通に生きるだけなら不要な思慮なのですよねー。根暗だなあ
根暗でも仄暗くても良いけど、私はこれといってネガティヴなんかじゃない。
ペシミスティックなだけなので。
今日も生きるのが嫌になった。ローソンの鶏からが20円引だった。

世界は血まみれのキャッチボール

夜中から色んな感情が巻き戻されて、消えたくて仕方なかった。
昼から大学で研究発表を控えていたのに種々の現実を受け入れられなくて駅のトイレで泣いた。解決しないから電車に乗った。発表はなんとか「普通」に終えることができて、満足いかなかったけれど先生に褒めてもらえて期待してると言われてうれしかった。健常者を装うことに成功した、という安堵。
学生の本業は勉学だし、真摯に取り組めば評価してもらえる世界だ。ここに「不条理」は存在しない。

私が厭倦するものはもっと矮小なものだったのかもしれない。
ツイッターに色々書いたらお気に入りをたくさん貰えてうれしかった。
無意識的に書き連ねたけど、「暗在系の可視化」が私には必要だったのだと悟り、それは近しいところではハルさんや、大槻さんが既に執り行ってくれていたのではないかと思い安心した。きっとそんなもの松永天馬でも良いんだと思う。
私は彼のことはあまり好きじゃないけれども、好きじゃない人を肯定してしまうほど打ち拉がれている。
どうしても肯定してほしくない人種がいて、それは彼らは肯定していないように感じた。天馬は知らない。
だってそれは彼らからしたらレプリカだから。
私からしてもレプリカだから。
そんなところで生きればよかった。神聖かまってちゃんとかシロップとか聴いてずっと眠っていればよかった。
中学生の時に耳元に流れるのはBerryz工房やドラマCDやオナニーマシーンやハイテクノロジースーサイドだった。

京都四条のファーストキッチンで雑穀米入スープを食べた。その後文房具屋に行って諸々購入。最近の2リングファイルはスタイリッシュな色をしているなぁと少し驚く。
帰って前髪を切ったら思った以上に短くなって、最近酷く肥えたからまるでブルゾンちえみのようで生きるのが嫌になった。
2週間前から中井英夫のエッセイ/評論を読んでいるけど、電車で数ページしか読めなかった。明日からは論文を1日2報読めたら満足すると基準を作成した。

先日ツイッターのフォロワーにブロックされて、私という生き物は健常な世界では癌でしかないことを痛感してブログをちゃんと書くことにした。
日々の自己肯定で生き長らえて、どんどん溝は深くなり、嘲笑われ、それでも生きていかざるを得ない。きっと健常な人間からしたら全て仄暗いで片付けたら良いんだと思う。
誰にも肯定してほしくない。私は私でいていいんだという理由付けもいらない。

特別欲しいものが無い

君は僕のすぎさった夢の一つ

2017年2月26日(日)
大槻ケンヂ弾き語りLIVE「真冬の京都・真昼の弾き語り」 京都SOLE CAFE

1.sign
2.タンゴ
3.お別れの背景
4.オンリー・ユー
5.Fly me to the Moon
6.coyote
7.よろこびとカラスミ
8.日本印度化計画
9.踊るダメ人間
10.香菜、頭をよくしてあげよう
11.デイドリーム・ビリーバー
12.Guru
13.あのさぁ
14.氷の世界
15.夕焼け原風景
16.愛の讃歌
17.接吻
18.おやすみ-END

初めてのオーケンの弾き語りライブに行った。
とても楽しい話を聞けたから是非記録したいところだけれどそんなエネルギーがない……。

金閣寺、いいんぼうわるいんぼう、オーケンハウス、カルチャー講座を開きたい(オーケンのハワイアンキルト講座etc.)、大森靖子さんのMVに出演した、駅前留学の無料体験に行った、UWF、発売した文庫本の話 など

2時間半弱?すごいボリュームだった。
常にマイノリティの立場で現状を打破したい、と仰る51才がこの世に存在するなんて、素晴らしいことだなーって細々と感銘を受けた。

大槻ケンヂの客層は私よりずっと上で(と書きつつも私は年相応のライブに行ったことが殆ど無いけれど)メンバー側も勿論そうで、そんな人たちがこうして笑える場所が保障されているってことが良いなあと感じる。
だから話の内容には若干疎外感なんかを味わいつつも、香菜やGuruがすごく響いてきて、この曲ってこの日歌われた曲の中でもとりわけ大人ー少女という色が強い、というかそう捉えることができて、51才のオーケンが歌うこれらの曲を、今の年齢で聴けて良かったなあと思った(もうとても少女とは言えないけれど)。
自然と歌に引き込まれて、言語化できないけどこういうの凄い。歌にも言葉にも説得力があるって素晴らしいよ。
それを求めて生きるって良く分からない思考だし相当しんどいんだろうけど、出会えるのだから勝手に思って良いよねきっと。
とにかくオーケンハウスに入りたいと強く思った。しかし私は入れないんだろうなぁ……。どこの福祉法人なら受け入れてくれるだろう。
これからのオーケンの活動が楽しみになった。文字通り、陰ながら応援できたらなー!