起きててもここにいい事はこないから

昨日は夢でコスモ式のライブに行った。はず。それよりも新宿ゲバルトを見るためには上京するしかないのですが。

気持ちが沈むのは良いことではなくて、でもこの時期はどうしようもない。不可抗力。
再来週は猫のテブクロツアー。それまで死にゆく心がたくさんある。


なんか私すっかり老け込んでしまったなあ!と笑ってしまう。
中高生の頃面白可笑しく聴いていたハードコアパンクなんてもう聴けないのかもしれない。アイドルも憧れのお姉さんじゃなくなった。
ヴィジュアル系だってもう何も楽しくないのかもしれない。
ポケモン星のカービィコロコロコミックもサンリオもどんどんずれていくんだ。

周りより大人だと言われる度に悲しくなる。
たまに年上と話していても(母親でさえ)お守りをしている感覚で、なんていうのは少し虚勢を張っているみたいだけど。
でも本当に皆子供みたいだよ。
その世界に居たら独り立ちを余儀なくされるんだから、ああーそうか、またこうか。って。
「轍」というものなのでしょうか。
ホンモノを求めたあまり、世界の殆どがそうではないものであると知ってしまったとでも。
私は子供騙しに騙されるほど子供じゃないし余裕がない、です。


池の上陽水 Sign

オーケンの友人で40代で亡くなった池の上陽水さん。彼の楽曲を先日初めて聴いた。
歌詞がものすごく淡くて、非偽善的で優しい。
この人は純な意味での「詩人」だなぁと思った。

coyoteという曲が印象的で、
「眠りなさい 眠っていなさい 起きてても今日はいい事もない」
ってさぁ、なんだろう、眠りについてしまいそうになる。
母が子に聴かせる子守唄なんかの深い慈愛と安堵には到底敵わないはずなのに、安心し尽くしてしまう。
そろそろ眠ろうかな。起きてると空耳がドアを叩くから。

生まれついての夢見がち

楽しいことを記録して思い出して明日も生きよう。


土曜日。聖地巡礼。タイヤがたくさんあった。
休日の真昼の子供がたくさんいる中で大きいお友達はブランコに揺られながら悲しみに暮れていた。こわい。
蒲田はなかなか栄えていた。


日曜日。ブロードウェイはよく訪れるのだけど初めてデイリーチコを食べた。
私はスイートポテト(芋)、チョコ、バニラ。

あとサンモールのロッテリア限定のコアラのマーチ焼を食べた。
絶品チーズバーガーも初めて食べた。あまりファストフード食べないもので
絶品だった(この感想は如何なるものか)。

中野は楽しいよ。
ブロードウェイなんかを友人と散策できるのって私の人生遍歴的には奇跡だと思うの。

この日のデセオはすごく楽しかった!
此の期に及んで最鋭輝隊を見れてよかった。ノブさんのドラムを近くで見ることができてしあわせだよ〜本当にかっこいい……。アダルティだったな。

まさかのメルシー小町に選ばれ初めて男性から薔薇を贈られたという貴重な夜!笑
女性としての価値の喪失を実感する日々だったけれど頑張ろうと思えたので、モッキーは偉大。

水曜日にやっと生けてみたけど復活するかな。
ありがとうモッキー。しかしノブさんをずっと見ていた。
紙テープが絡まったマイクスタンドを動かして「犬の散歩みたい」と形容したり、有線マイクの限界を感じていたり、すごく、シュールだった。
そんな中でも歌えば本気のモッキーだったからとても良かった。

セクアンは案の定実感が湧かないものだった、けど、初めて見たセクアンでやっていたいつか桜の木の下でがすごく印象的で、だからこの日もやってくれて、少し懐かしく感じたりした。
寺子屋忘年会のBGMでいつか桜の木の下でが流れていたのだけど、園長さんもすきなのかな……?と思うと寺子屋のイベントでやってくれて嬉しい。
(この前友人と共に訊いたら、エレクトホラーショウのBGMは園長さんが選んでいるとのことだった)


月曜日はライブのない日。サンダーユーでも観に行けばよかったなと今更思う。
後天的サイコパスだからサイコパスな行動をしたけれど秘匿ですので、無縁仏まで持って行く。えへへ〜。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ秋葉原に行ってとあるものを探したけれど見つけられず。久々に男性向同人誌のコーナーを練り歩いたら謎の疲労感に襲われた。

コイキング焼き食べた。

不条理ソング


火曜日。アーポ笑劇場。近未来SFファンタジー桃太郎。非常にカオスだった。アートポップや寺子屋界隈のバンドマンって皆頭おかしいなぁと思ったのでばばくんがとても不憫だった。
「桃色のポット」「マザーコンピュータのコア」という強靭なワードに安心感を覚えたり、お面と「君は誰?」「私は私」と繰り返すキジの狂気が非常に身近に感じられた。えんそくはやはりこういう場で強い。
透さんの抱える爆弾がじょいさんと調和して素晴らしいことになっていた。相性良いなって思った。

ざんちゃんに誕生日プレゼント貰った!ありがとうございました!ぶうさんならきっと一瞬で食べるんだろうなあと平和に考えながらつまんでいます。
彼女と笑って会える場所がこれから、も、ライブハウスなら良いなあとか考えたりする。
誕生日なんて毎年死にたくなる最悪なイベントで、どーしよーもないんですけど、いい日があるから生きていこう、と思います。
いい日があるから生きていこう。誕生日なんて本当はないんだよ。
いい日があるから生きていこう。

思い切り手を握ってもう一度あの柵の外へ

仮題で歌われてきた曲も、最後の最後に聴けない曲になって私が聴いてはいけない曲な気がしてきて高崎の新幹線のホームで消えようかと思ったことを思い出した。


昨日のブログは衝動的に書いて下書きに入れていたものを大幅に書き換えてインターネットに上げられるものにしたから、すごく平穏で何のことか分からないと思いますが分からない方がいいこともありますよ私が何を以って私なのか、知らない方がいいですよ?私がどういう家庭に生まれどういう人生を歩みどういう環境に居てどういうことを知っているかなんて知らない方が幸せだよ?例えば、これを目にしている人の名前や住所や家族のことや行動範囲や過去や誰が好きかとか誰が嫌いかとか私が全て知っているかもしれないですよ、それってすごく怖いですよね?だから分からなくて当たり前なんです。人間は。言葉にしないという優しさは、やはり悲しいのだけど、誰も傷付けない最“善”の選択肢。
ごめんなさいってずっとずっと思ってる。
ごめんなさい
でも何で世界は私が一番進んでほしくない方向に進むんだろう

もう君に辛いことなんて何一つ起こらないよ

大阪に帰ってきて現実を片付けていた。部屋の掃除とか学業とか。
生まれてからずっと健常者ぶってたら私はどんな過酷な現実に煽られても笑うことができるのですがこの器用さは誰からも理解されなくなるので、つらいときにつらいと言える人達が羨ましい
そんな人生です。

しかし昨日までが夢だったとかではなかったし、千年先まで続く春色の日曜日なんて何処にもなかったなぁ。
今のままじゃ。
何てあんなに頼ることができない程度のものだったんだろう。


この前の土曜日の始まりに歌われた「宇宙大天使土曜日」という曲を聴いてから、私はこの曲をもう一生上手く聴けないし、聴きたくないなー、と、ずっと放心しています。
それだけのこと。
《もう君に辛いことなんて何一つ起こらないよ》なんて歌う強さはどこかにあったのかなぁ。


いい日があるから生きていこうと念じて友と別れ、独りで生きようと意気込んでも結局ずっと泣いてしまっている。
こんなに毎日泣いても泣いても枯渇しないのおかしい。
疲れる。
しかしもう言葉が詰まって無益で無意味に泣くことしかできない。

夢が本当になればいいなっていつも祈り続けているけれど幻想だなぁ。
私が見ていたのは自分の心だったんだろうか、それは果てしなく滑稽だね。


どの世界も全部こんなしょうもなさすぎて、全て「想定内」だから、私は頭が良すぎていつもこうなんだなぁと悲しくなる。
頭が良いから、いつもいつもいつも誰も知らなくていいこと見なくていいことそんなのばかり知覚しちゃって、当事者には自己正当化の餌として吸収されて、先生や大人には褒められず寧ろ咎められ、同級生からは邪険に扱われ、人生も世界も、ミクロでもマクロでも全て同じで、今までもこれからも変わることはない。

そんな私のことは、きっと、100パーセント適うことはなくても少しぐらいは過去の人達が歌ってくれているから、過去の人たちの背中を見つめて、あとは死ぬ勇気を貰うだけだ。
自ら死を選んだ偉人たちは頭が良すぎて、世界の全てが汚れていて虚構であり、解決策なんて本当に何もないことを見抜いてしまい絶望の果てに死んで何でもなくなったのだから、私だって怖くない。
嘘だよすごく怖いけどどのみち無理ですねこれ

「死にたがり」なんて無能だから所詮死にたがりなんだろ。
だから沢山の在り来たりな一般市民は「死にたがり」で、その程度に留まる。
そしてその程度にしか人間の「声」は届かない。

「歌」って所詮そんなもんかぁと全てに呆れ返っていたけれど、日曜日に凶子さんの「歌」を聴いてやっぱ私の望みはある、って安堵して、彼女の凄さは「歌」にあってそれがいつしか存在にもなり今があるんだなって。
常套句だけど本当に魂が震えた。
これからどうなるのかどうもならないのか、そんな憂慮ばかり付き纏って眠れなくなる。


君がサンフランシスコに行くなら、君の髪に花をつけていくと良いよ。
そうすればこんなに遠い異国の果てでも、君は君を分かってくれる人に会えるんだ。

日曜日はきっと!

幸福論

幸福論 (角川文庫)

幸福論 (角川文庫)

「幸福になるためにすべきこと」でも「幸福という状態」でも「幸福についての思想」でもなく「幸福論」が書かれている。書物批判から始まるが言葉を介して表現するに他ならないことに悔しさを覚えつつ、各項目(肉体/演技/出会い/性/偶然/歴史)と「幸福論」の結び付きを理論的に掘り下げる。物凄く理屈。
生きることに関する見識が読者である私と異なりすぎて上手く腑に落ちなかった。「出会い」と「性」が分かりやすくて「歴史」が興味深かったものの、全て客観的に読んでも自分に当てはめるとなるとやはりちぐはぐで、それは「どうしても自分を好きになれない人」であるから、なように思えてきて、混乱してきた。
個人的な意見であるが、幸福とは個人の絶対的な非物質的物質(分かってほしい表現だ)だから、論ずるに値しない。あくまでも寺山的「幸福論」としての絶対性しか存在しないので、結局この本から得られるものは何もないように感じる。
まあ面白いんですよ、すごく面白い。寺山修司面白い。だから作品として読めば面白い。
「幸福論」の障碍となる活字で構成された書物を読書する、という始点にある時点で彼の幸福論を理解することは無いのだろう。

水銀の血と涙で出来た誰にも不可触なロボ

去年の5月から6月にかけてプレイしていた星のカービィ ロボボプラネット。ロボボアーマーにシールを貼ってカスタムできるんだけど相変わらずのチョイスのようでした。

今日もやはり分からないことが多かったけれど(きっとここ数日の私は「分からない」を執拗に用いている)、行き着く先は闇なんだから好き勝手思い描けばいいんでしょう。
どうせ私が生涯かけても手に入らないものがあるのだから、せめて、と願って毎日寿命を縮めることに没頭してる。
昨年は汚い世界を見過ぎて足を囚われてしまって窒息しそうな毎日だった。その失敗を踏まえて今は何も知らないでいる。自ずと関心が芽生えなくなる。側溝の中を態々除く必要は無い。
私のすきな人は汚くない世界の人だから。それに、幸せを顕示している人の方がかっこいいから。
最近なんかマチコって文字をよく見かけるけど、私はマイコになりたいなあっ。あれれ〜

ex.引きこもりがかれこれ3週間毎日化粧して外出しているのでそろそろ思考が限界。
ふわふわのおふとんで寝たい
愛を履き違えて自爆する人間を何度も見てきた
人間皆狂っていて気持ち悪い
わたし、《普通》だから分からない

夢だけが人生のすべて

ゴシック&ロリータ幻想劇場 (角川文庫)

ゴシック&ロリータ幻想劇場 (角川文庫)

ブログタイトルは収録されている短篇のタイトルなんだけど、内容はそれとしてみて、すごくすき。オーケンの用いる「夢」という概念は幅広くて全て愛おしい。
昔から同じことを主張したいんだなあという印象、悪く言えば新鮮味に欠けるけど、ブレないところが素敵だと思える。
そしてやはりイイコなのでそこかしこに散らばる影響元を目にしては読んで良かったなあっていう独特の読後感。

昨日オーケンの誕生日だった。祝いたがりなので心で祝った。51才って想像できないすうじ
思えば私が初めて見た彼は50才で、しかも声帯ポリープ手術後の夏のライブで、きっと《大槻ケンヂ》という物語の中で「後期」と括られるようなフェイズなんだけど、応援したいなあと思う。
しかしバンギャルを経験したら軽率に遠征を企てそうになるのでよろしくないな、とスケジュールを照らし合わせながら考えていた。ライトな層に留まろう。