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薔薇園に着いたらココアを入れてあげよう

旧古河庭園へ薔薇を見に行った。

中学生の時好きだったうみねこのなく頃にのゲストハウスや薔薇庭園の舞台で、後々調べたら礼拝堂などはまた別所みたいでした……。倉庫もチェックしておけばよかった。

丁度薔薇の季節でたくさん咲いていた。
暑さと人の多さでちゃんと見れなかったし種類を控えるのを忘れてほとんど名前を失念したけどいくつか載せる。

中央の「カクテル」というつるバラがシンメトリーに配置されていた。

可憐でかわいい。こういう見た目のものに惹かれる感性。

たぶん「丹頂」。

「シンデレラ」という薄紅のツルバラ



兼ねてから行きたかったのだけどそれ以上になんとなく意味のある行動になって、
そんなに花に詳しいわけではないから綺麗だなという感覚で見るのみだったけれど、それでも楽しかった。
しかし薔薇園とちょっと違う道の日本庭園の方が涼しいし人も少ないし快適だった。
蜂などの攻撃性の高い虫に遭遇したら私はすごい唸り声を発してしまう癖があるので、男性とのデートじゃなくて良かったです。


JR駒込駅は結構栄えていて、東京の下町感が私にはすごく良かった。
駒込の唐揚げ屋さんでからあげと砂肝からあげを買い公園で食べた。砂肝からあげはもう一度食べたいぐらいヒットした。私と知り合って友人が得た最大のメリットは唐揚げの素晴らしさへの気付きだと思う。

将来的に上京したいからこうして色んな町を見て候補を立てることは有意義だ。
今の所中央線沿いが一番好きだなーって思うけどどうなんだろう
とーきょーすき

めっちゃきたない奴いた

オレはもう一度君の背中にくちづけるために地獄からはいあがったぜ何か問題あるかよ?

2017年5月20日(土)
筋少シングル盤大戦! 恵比寿LIQUIDROOM

セトリ
1.暴いておやりよドルバッキー
2.君よ!俺で変われ!

3.混ぜるな危険
4.小さな恋のメロディ
5.僕の歌を総て君にやる(Vo.橘高文彦

6.人から箱男
7.バトル野郎〜100万人の男〜
8.元祖高木ブー伝説

9.氷の世界(アコースティックver.)

10.蜘蛛の糸(アコースティックver.)
11.トゥルー・ロマンス

12.ツアーファイル
13.タチムカウ -狂い咲く人間の証明-
14.サボテンとバンドライン
15.221B戦記

EN
1.香菜、頭をよくしてあげよう
2.仲直りのテーマ
3.釈迦



ドルバッキー始まりだったのが意外だった。
君よ俺で変われとこう続いて聴くと、UFOと恋人の再現ライブ聴きたいなあって思う。オーケンは僕の歌を〜のPVの赤い衣装。
オーケンはポケットに手を入れて歌う癖があることに気付いた。

筋少のシングルはすべて1京枚売れているけれど、諸々の陰謀で事実が隠蔽されている」
という話を延々としていた。シングルに意味はあったのか!と。

小さな恋のメロディのイントロが流れた瞬間に一気にゾクゾクした。
僕の歌を〜を神妙に聴いていたら後ろでエディが謎の踊り(ツイストダンス的な)をしていて!?ってなった。
最後にセンターで弾く姿を見て、橘高さんは泣きのギターそのものだなあと感じた。魂を震わせにかかってくる
個人的にはセクシーさ全開のギターの方がすきだけれど(なんか、ギターは女の躰だ!みたいな人)えんそくのクラオカさんとか橘高さんとかを観ると、特にライブではこっちも良いなあと思える。橘高さんは十二分にセクシーだけど

「君よ!俺で変われ!これ出だしの歌詞が、カフカ フェリーニ マザーグースですよ……全国のカフカファンが皆こぞって買ったでしょう!ということはケラさんも買ったんだろうね」
小さな恋のメロディの前奏が長い。
世良公則だったらこう踊ってる!」でジャーンジャジャジャジャーンって口ずさみながら空手風の怪しい動きをする→阿波踊り的なやつ かわいすぎて……映像に残して欲しい……
このときうっちーが「イイネ!」とか言ってた
「橘高君が入って、メタルポップ(たぶんこんな感じの表現)路線が出来上がってボクはアングラ出身だからどうかなあと思ってたけど、ちい恋(おそらく客の間での略称なのに)と僕の歌を総てと機械の、キラキラと輝くもののこの3曲は特に好きですと言われることが多い。アニソン好きな人に受ける」

バトル野郎が楽しくて一気にすきになった!やっぱ振りがあると楽しい。

それぞれのシングルにまつわる思い出話。
主にPVのエピソードが中心で、結構お蔵入りだったり観れる媒体が存在しないものが多いようだった。
バトル野郎の話が面白かった。オーケンはバトル野郎が好きらしい。
ストリートファイターⅡのCMソングで、ストⅡの全国大会にオーケンとうっちーがゲストで呼ばれた。うっちーがはエドモンド本田で小学生と対戦し負ける。
小学生の感想「弱いね」

高木ブー伝説だけはヒットした。しかしボヨヨンロックが一番売れた。

氷の世界と蜘蛛の糸のアコースティック
蜘蛛の糸のアコースティックは1月に聴いたものとやっぱ全然違った。
高木ブー伝説のあとにシングルで出していたら筋少はもっとシリアスなイメージになっていたかも知れない曲です、と蜘蛛の糸を紹介していた。
この日はトゥルーロマンスが一番素敵だと思った。
ハッピーだった!
ラブゾンビ〜って客が歌ってる姿を見て嬉しそうにするオーケンがすごくかわいくて、かわいいって褒め言葉は苦手だけどかわいい嬉しいと口角が上がるのかわいい
トゥルーロマンスは個人的に思い出深いから聴けて嬉しかったし、この多幸感はオリジナルだからこそだなーって、すごく良かった。

スタッフさんに特攻服を着せてもらうオーケン
ボタンを一つずつ閉めてるとき「おじいちゃんがんばれ!」って声が上がるの、やさしいせかい
「皆おじいちゃんって言うんだよ……」と拗ねる
ツアーファイナルの前に絶対疲れる……ってため息をつくオーケン
あざとい
しかし客をジジイババア扱いしていた

221B戦記が本当に、神々しいっていうか荘厳だった。
照明が少し落ちて空気が冷たくなって台詞の掛け合い、すごくどきどきした。
筋肉少女帯の真髄だなあって、むちゃくちゃ惚れた。
神谷明宮村優子の台詞は同期で、歌は全部オーケンが歌って、行くぜ!GO!で拳を挙げたときに一番生で観れてよかったって嚙みしめた
あと普段観るようなバンドはセンターにお立ち台があって、小さいライブハウスでどれだけ近くてもなんか近い!ってならない(麻痺してるのかな)けど、オーケンがスピーカーに脚かけて歌うと近い……ってびっくりする


香菜をバンドで聴けたのがうれしかった。
エディがオーケンと同じシャツを持っているというくだりが大変仲良しだった。
「意味!mean!意味!mean!意味!mean!意味!mean!our understand」という狂気的なコールを自らやりながら、こんなライブ見たらエッセイに書いちゃうよ〜エディに報告しちゃうよ、と仰っていて狂気的だった。
仲直りのテーマで、最後の方上手に行ってスタッフさんに声かけてて何事かと思ったら椅子を持ってきてもらって座った。お、おじいちゃん
こういう毎週のようにライブがないバンドは、釈迦みたいな絶対やる曲がむしろ嬉しい
履ける時、オーケンは謙虚な人だーって感動したので私も謙虚に拍手だけしていた

どこのブロックか忘れたけれど前世で会ったことある話で、40代はムーのペンパルで!30代はmixiで会っただろ!20代は……Instagramで……って笑って仰っていた。20代=インスタ観
前世で出会っている、って、むちゃくちゃコスモを感じる

腰と、あと喉がつらそうだった
フリスクを結構な頻度で噛んでいて、フリスクの香りが漂ってきてああーってなったからしばらくフリスクの香りを嗅ぐだけでよだれが出そう。パブロフ




整番が良くて勇気出して近くで観て、こんな近くで観ること一生ないんだろうなって思うとすごく幸せな日だった。音響の問題でボーカルが聴き取りにくすぎたのだけがめちゃくちゃショックだけど……。語り部分は全然聴きとれなかった

オーケンやっぱめちゃくちゃかっこいいし、かっこいいという前提でかわいくて、おじいちゃんで、しばらくかわいいよお〜ってほわほわほくほくしていた
でもやはり体力が少し心配に感じられるから、元気なうちにもっとたくさん観たい……のに次のツアーまで行けない……特撮もたのしみ!

筋少行くと、聴くきっかけとなった+世界で一番すきなえんそく対バンしてほしいって思いを常に抱えながら観てしまうところがあるんだけど、まだ対バンできないだろうなあって少し思ってしまった
筋肉少女帯のファンは、筋肉少女帯を心から愛してるなあって、私だってバンドを愛してるつもりだけどやっぱ違うなー、真っ直ぐすぎるなって、リニアモーターカーのような愛だよ
時に世界の外側の人間を線路の上の石のように扱う愛だ。
バンより前にオーケンにえんそくを観てほしい……って、めちゃくちゃ評論家気取りのようでキモいけど、願いや夢が叶えばいいのにな。

そしてこんなにたくさんの人に支持されてるのに、ポップさが一つもなくてそれがすごくすきかも
数=ポップ(大衆)っていう簡単で死ぬほど醜い等号から離れて、それでも数を得られて、それは本当に実力だなって感動する。昔のことは知らないけど
キャッチーも聴きやすさも、それはアドバンテージとなるけれど、ハミ出し者の自分にとって一番不必要なものはポップさだって気付いた
ポップなものは嫌いだ

世界が破滅するなんて嘘だろ

昨日は京都磔磔オーケンを観てきた。
元酒蔵のライブハウスでちょうど築100年ということで、趣のある建物の中で着席してぼーっと聴いていた。

持ち曲はオンリー・ユー、あのさぁ、踊るダメ人間。他カバーとかセッションとか。
セッションバンド形態で歌われるのが新鮮で特にオンリー・ユーにぐっときて破顔した。
おじさんがおじさんにチェキを勧めるというのが面白いようで、時代の変化に対応する大槻さんは賢いなあと感じる。昔から変わらないスタンスを貫ぬくロッカーってかっこいいけど難しい問題もたくさんある中で51才がチェキを売るというセールス力。

他の出演者のこと何も知らなかったけど、アナーキーのベースとかRCサクセションのギターのCHABOさんとか豪華だった。
曲は聴いたことあっても私は何一つ懐古できない世代だから、ぼーっとしていたけどRCサクセションの明日なき世界が良いなあと思った。青かった。
皆音楽を好きなんだなと思って色々考えてしまった。
おおつきけんぢはなかなかにかわいかった。


久々にフリルがたくさんついた洋服を着て大学に行ったら、「そっちの方が君っぽい」って言われたり、街を歩いていたら多く声を掛けられたり(これは多分頭が弱そうだから)、外国人にナイスファッション!って褒められたり
嬉しいなあと思うけれど、私の少女趣味は息切れ状態である。
服装でしか自分を表せない人間は哀れだけど、服装は人を表すっていうのは正しいから、その矛盾を超えた先に人間の本質が存在するので到達目標としてはとか徐ろに熟考し出す自分は気が狂ってるんだなと絶望した

別の星の物語りが絵本になったみたい

髪が落ちていました。










優しいものだけを見つめたら優しい世界だなあと思います。
ふと考えたら先生も友人も優しい人ばかりで、今日だって声もあげず耐え忍んでいたところを救ってくれて、そういう世界にいるための学歴や所得をある程度の水準をキープすることの最大の理由は、優しくない人間を排除できるからなんだなあと思います。今はノートに痩せた猫の絵を描くこともないです。
そしてそれに完璧に恩返しできない自分が大嫌いだなと思う。
相変わらず自分は人間としてどこか欠けてるから、人の厚意をゴミにしてしまう。
自分が大嫌いだ。
だからどこか似てるね、と言ってくる人間が大嫌いだ。
自分と似ている人間は大嫌いだ。
そういう人間が決まって他人を規定する「私達」という言葉が大嫌いだ。
そんなに誰かと同じものになりたければ結婚相手を探せばいいし、同じ目的を持ち同じことがしたければ子供を作ればいいじゃない、って思うのに

まぁどうでもいいです
すべてがどうでもよくなるこの日常っていうのももはやどうでもいい
自分が大嫌いなのはどうでもいいけれど、大嫌いな自分に好かれている人々が不憫でならなくて仕方ない。
どうでもいい
しかし数ヶ月間が水の泡なのでしばらく文庫小説に身を潜めようと思います(ゲームを一日中プレイすると死にたくなるのは老いですか?と思ったけれどヨッシーのたまごというチョイスがダメなのかもしれない)。

最近は
筋肉少女帯
その後or続き と 別の星の物語り という曲が怖いです




ジロリの女 (1956年) (東方新書)

ジロリの女 (1956年) (東方新書)

『ジロリの女』が昔好きで、後半のヤス子を口説く流れが秀逸以外の何物でもないんですが
古書店で単行本を見つけたので改めて読んだ。荒唐無稽という感想が正しいのかわからないが荒唐無稽すぎて腹が捩れる面白さです。狂人ばかり
言い方悪いけど、ライトノベルと近現代文学の架け橋になりうる作家の一人だとずっと思っている。
例えば遺恨の書き出しとか

 梅木先生は六十円のオツリをつかんで中華料理店をとび出した。支那ソバを二つ食ったのである。うまかったような気がする。然し、味覚の問題ではない。先生は自殺したくなっていた。インフレ時代に物を食うということが、こんなミジメなものだとは。お金をだしながら乞食の自覚を与えられたのであった。

パワー



ビッチマグネット (新潮文庫)

ビッチマグネット (新潮文庫)

再読だけど単行本買って読み直せばよかった。初舞城がこれだったので初めて読んだときは何も感じなかったけれど今となって読めばわぁ、モラリストだなと唖然とする。
それを堅固に持っているから人間とか物語とかそういうものについて書けるし暴力的残虐的な作品を書けるのだろう。
こうしてモラルを弁えてる人ってさ、それが滲み出すぎていていくら覆面作家であろうが隠してあろうがある程度の漠然とした生活(結婚している など)が優に想像できるから、本当に怖いよねえ誰も気付かないと思いきやもう漏出し過ぎていて、恐ろしいですよ。気付きますよ誰でも。いくら叔父に惨殺されまくったり脳みそセックスとか書いてもモラルですよ?モラルに則りモラルで人を守って悲しくなりませんか?私はすごく悲しいですでもそういう器用さが人間を生きさせるのであ、感想という趣旨から脱線しました
どうでもいいけど作中で時間がわりとテンポよく推移するんだけど、「十九歳」「二十一歳」という具体的な香緒里の年齢が登場して彼女は成長しているのにそれらと各々同年齢で二度読んで私は成長できたと思えないので現実は物語ではないんだなあと思い知らされ、それを あたり前 と人は言う。また二年後に読み直そう。

待ち続けた「あの頃のボクラ」にボクラは会う

2017年5月13日(土)

惡道を進め!~MAKE YOU FREE HEAVEN’S GATE~ 仙台長町RIPPLE


リプルは大変見にくい箱だった。
後方は暗くて、青い六面体のオブジェが端に点々とあった。

あまり覚えていないけれど、熱いライブだったように思う。
後方で見るライブというものは非常に難しくて、物理的・視覚的な障害のせいで前方やメンバーの熱が届きにくかったりするので、こういう箱は苦手だなあと感じた。
Mで踊るか死ぬか選べ!と言い放っていたのがかっこよかった

雨の日に流星雨っていうのずるい攻め方で、
「どうしても元気が出ないときもある、でも大丈夫大丈夫大丈夫、君たちの笑える居場所の感性はすごくいい!」
のようなことを笑顔で大丈夫と何度も言うぶうさんが、たまたまそこに居合わせた誰かの中で大きな存在となればいいなあ、と思った。
流星雨が終わったあとに、
えんそくは、ゴリラとかボールペンとかだけじゃなくてたまにはいい曲あるじゃんって思わせられる、20曲に1曲ぐらいにある
と仰っていて面白かった。
ゴリラとかゴードンとかを「バカにもわかる曲」と表現していたのがすきだった。


惡道を進め!~迷宮牢獄門~ 仙台長町RIPPLE



手加減した優しさに溢れた無料ワンマンの後のキレッキレの有料ワンマンの背筋がぞくぞくする感覚はこれが最後。サイレンが鳴って、総統閣下が声を発するまで息ができない緊迫感が至高だった。
どこかで、怒っちゃうよ?だかなんだかSっ気溢れる言葉をニヤニヤしながら発していてすごく良かった。
死に場所、深沢、ゴリラってきてアルバムの順序通りの流れだってなった。
君は何だ?君は何だ?ゴリラか?ゴリラなの?と、それに答える客の声、この謎の禅問答のようなものが非常に狂気的だった。
人間以上の人間に、みたいな、よくわからないけれどそんなことを
恥じらいも理性も捨てられるように、って。

屠殺に入る前がすごくかっこよくてわあああってなんかどきどきするしかなくて、
そんなに死にたがるなら全部貰ってやる、
まっとうにやってる、まっとうにやってるつもりでいる、まっとうな自分を殺す、屠殺してやる
断片的にしか思い出せないけれど、ぶうさんが確実に「まとめて殺してやる」って言ってくれていたのがすごくかっこよくてかっこよくて
そして私は「まっとうにやってるつもりでいる」って言葉をぶうさんが言ったことが奇跡みたいだ、と大袈裟に思わずにはいられない。
屠殺屋マン4号はとてもいい曲だ。
1回目のマイヒーローでは祈るように見上げ、2回目は誰かの手を求めるように手を伸ばす。
この曲の《ヒーロー》が、《私》のそういう仕草の対象であることが、私はすごく嬉しかった。
犬死にマクマーフィーで、《君》を《アイツ》と言い換える部分があった。全部犬死にだ、という言葉にはっとした。
「いつか燃え尽きるのなら“ボクは”夜を裂いて落ち、あの柵を壊そう」そして、犬死にはしないぞ、と3回噛み締めて言い残す。
この日の怪人ラボの夜は今までで一番良かったしこの先超えることもないんだと思った。
私は本当に、この曲を歌ってしまうぶうさんをずっとずっと正しいと主張し続けたい。
最高で唯一無二の怪人ラボの夜がつらくてつらくてつらくて苦しかった。
怪人ラボの夜の後にやるイルキメラキッドは、全てをリセットして強くてニューゲームみたいな空気にさせてくれる絶大な武器だった。

茶番ではストⅡネタとオダズナーさんが出てきたのが面白かった。
後楽園で僕と握手!と言い去るオダズナーさんが最高だった。

日々、宇宙色の途中のぶうさんの語りが、ぶうさんはもうすっかり大人なんだなあって、それは良い意味で、大人だからこそなれるコドナチャダルドだから、
この日のライブは最高だったけれどそれも通過点としてまだまだ先の存在する、そんな物語の途中を見ているようだった。

ここからもう殆ど覚えていない。
マキナからU.F.Oまで、流れるような絶えない青春の空気感で、1999年のブルースを思わず笑顔で聴いてしまう日がこれまでにあったっけ。
初日にやった1999年のブルースとは全く異なる歌で、
初日もファイナルもそれぞれが新しい1999年のブルースだった。
誰の歌が届いたのだろう、で俺?俺?みないに笑いながら自分の「歌」を指差すのが無邪気すぎるなあ、と。
大計画で噛みしめるように、「そう、同じだからね」と言う。かっこよすぎて眩暈がした。
うちに帰さない!みたいなことを言っていて、そこからのキャトル。

仄暗いアルバムだけど今までで一番楽しんでツアーを回れたと言っていた。
私が初めて行ったワンマンツアーは惡童のススメのツアーで、その頃と比べても全然違うぶうさんだなあ。笑顔を絶やさないなあって
仄暗いっていうのも初めは分からなかったけど、今はすごくそう思う。

ガンダーラツンドラ
ツンドラを溶かすぐらい、のようなことを仰っていた。
狂ったセカイは「全部」に向けた曲になった。
どこかの曲前に「強い俺の歌を」みたいな言葉を使っていたことが嬉しかった。
ぶうさんがぶうさんを強いって言い切ったことが嬉しかった。
あと何の曲のどこかは全く覚えていないけれど、マイクを指差したときわあってなった。

本当はこれで終わりのはずだけど、
13枚目のシングルのことや赤坂BLITZのことを言って、最後に宇宙大天使土曜日をやった。
赤坂BLITZの狂い咲きハルマゲドンのテーマならみて、宇宙大天使土曜日は重要なものとなってくるんだと思うけど、この日に宇宙大天使土曜日を特別な曲として歌ってくれたことがすごくすごくすごくすごくうれしかった。
だけど少し苦しかった
《春色の日曜日》って、素晴らしいほどに美しい言葉だなあと思った。







次の日のインストアイベントで特別学級の子どもの真似をするぶうさんが最高だった。
何かの質問で、やっぱバンド側と客は赤の他人なんだなと感じたけど忘れた。

仙台は雨が降っていたのに、飛行機で雲の上に到達したら真っ赤な夕陽が待っていて、そんな晴れた空で揺られながら大阪へ帰った。
空から空を見上げても宇宙なんて見えるはずがなくて、でも地上より手の届きそうな距離だから窓の外を見上げながら何でもないことを願っていたら白い物体が現れ、寝惚け眼にはそれがフライングヒューマノイドに見えてしまった。正体はおそらくはるか上空を飛行する別の飛行機なのに私は明日に絶望しながら非日常という希望を期待してしまった。
空港からのバスの中ではずっとバターロールトレインを聴いた。

ツアーは渋谷以外行った。
そこまで大規模ではないにしてもこんなに津々浦々ライブハウスを回るのは人生で初めてじゃないかなあ。
バンドを追っかけるとか、必死なバンギャとか、そういうの、正直キモイなあとずっと冷めていたのに気がつけばたくさん追い求めていた。何度も何度も、不思議だなあとぼんやりする。
このツアーの中で、仙台フォーラスから駅へ向かうまでの友人との会話が一番愛に溢れていた。
けれどやっぱ、つらいなあって少しだけ悲しくなった。
悲しくないけれど、他者の幸福を願うエネルギーは自分の色んなものを喪失させて、
勿論自分の幸福だって、相対的に測ってしまうと幸福なんかじゃなくて君はペテンにかけられているんだよと嘲笑われてまう。
幸福に相対的価値なんてありませんが。
今の私には自分の物語を終わらせる勇気も力もないし、まだ青二才のくせに終わらせようとすることも愚かで、少なくとも物語のクライマックスには到達させる必要がある。
せめて人の物語を覗くことで全てを忘却して生きている気分に陶酔している。
安息なんてそんなものだ。
から笑いかもしれなくてもそれを良しとして笑えている自分であることにしている。

狂い過ぎていて吐き気がします。
吐き気がするほどロマンチックでもなく、吐き気がするほど気持ち悪いです。
言葉は書けば書くほど価値が下がってただ頭がおかしくなってしまったと認められたり、
伝えたいことが何一つ伝わらなくて嫌になったり、
自分の感情に価値がなくなるこの先が怖いです。
すきだとかかっこいいとか最高とかそんな概念は対応する言葉の上限にとっくの昔に達していて吐き気がします。
そしてそれらが全て俗的な感情に成り下がってしまうことにも吐き気がします。

一番邪魔なのがどう足掻いても忘れることのない刷り込まれた記憶で、
こんなに生きても記憶が邪魔をして足がすくみ、怯え、呼吸リズムが崩れて、でも記憶のお陰で高望みせず自分には本当に守ってくれる家族も愛する人も味方もいないことを理解させてくれる。
過去の記憶の根源であるそれらを「転換点」と呼んでしまえば、そこから友情も家族も愛も何もかも崩れてしまって、いくら金や労力を与えられる存在であっても永遠に解法なんて存在しない無理難題と共存する運命から逃れられない。
これまでに、私に嫌な記憶を植え付けた全ての大人を呪って呪って呪い尽くす。
家族でも友人でも好きな人でも愛する人でも傷付けてきた人間を、一生許さない。
笑っていても許していないからな。
一番不要なのが記憶も、思考も、それの発端となるこの頭で、「首を切る」という発想は斬新すぎるなあと今更感じる。

自分が変わってるとか霞んでるとか特別だとか一度も思ったことないけれど、
20年以上生きてきて気付かなかったデコルテ部分を弄る癖を指摘されて、とんだ変態だなと自分に笑ってしまったので、なんかどうでもいいです。全て本当はどうでもいい。
私の言葉にはいつも欺瞞しかない。

日記

心が折れた!疲れた!古本屋で坂口安吾の古い文庫小説を買ったので久々に読んだらナチュラルな気違いさが面白すぎて電車でニヤけてしまった!疲れた!エアリズムを購入した!疲れた!セクアンのチケットが届いて終わりを痛感してしまった!疲れた!ぶうさんが過去、ごくたまに「選んでくれてありがとう」と仰っていたのを軽率に信じてみて今に至って後悔は何ひとつないけれど、それでも10代の苦悩していた頃を支えてくれていたバンドの活休はやっぱすごく悲しいし、終わりが近付いても最優先できない自分は愚かだと感じるし、誰しもが無力だと諦めるしかないから活休なんてしないでほしい。バンドなんて嫌いだ。疲れた。明日の飛行機は墜落するでしょう。写真と本文との関連性は一切ございません。

人形たちの夜

装丁が良い


I<春>、Ⅱ<夏>、Ⅲ<秋>、Ⅳ<冬>の4つに3篇ずつ収録されている連作短篇で、長篇としても捉えられる作品。

あとがきより

Ⅰにはプロローグと母娘二代の業を、Ⅱは反対に明るい夏の若い男女の愛と性を、IIIは推理小説めかして暗号解読を、Ⅳでは“兄”の立場からする憎悪の哲学を語ってエピローグとした。

<春>では少年・卓の生い立ちと、人形研究家である鬼頭と人形のような愁いの眼をした女・砂美との出会いと砂美の罪、そしてその母・久美の獄中からの手紙が描かれる。 片輪の男にだけしか惹かれない、歪んだ不具のこころをもった久美のフェティシズムに満ち欲と情に燃えた人生が思わず息を呑むほどの美しい表現で『跛行』に記されている。

<夏><秋>と連続性の無いような作品が挟まれるが根底で共通する「人形」。

そして最後の<冬>では人形研究家・鬼頭に戻る。鬼頭は<春>の卓の生い立ちが記された日記に登場する源治であった。卓は渾身の憎悪をこめて人形に釘を当て金槌を振り下ろしたが、一連の記録は全て卓の主観であり、源治もまた卓を憎悪し“復讐”を試みる。『憎悪の美酒』にてワインの如く示される源治の憎悪、「人工の憎悪」と表されるそれが、酩酊を催しそうなほどの狂気を孕んでいる。

 私の考えてきた愛と憎しみとは、よくいわれるように表裏の関係ではない、それは正数と負数ではなく、実数と虚数の関係だというのが私の結論であった。人はあまりにもこれまで実数すなわち愛だけを問題にし、その四則演算をくり返して倦まなかった。だが人間の心はもともと複素数の形で成り立ち、虚数すなわち憎しみへの考察なしに理解のつく筈はなかったのだ。可愛さあまって憎さ百倍というぐらいの俗な認識で、どうして心の不思議を探り得よう。母子とか夫婦とかの愛情が実に屢々実数だけの問題として語られるのを、私はつねに苦々しく眺めてきた。だが、いま初めて私は、かつて知らぬ言葉をこの耳に聴いたのだ。
 貴腐。貴と腐。この矛盾する二つの概念がこともなく一つの言葉に納まり、腐敗がすなわち高貴に変じ、高貴はまた腐敗を伴わずにいない世界がそこにあった。

入れ子構造に魅せられた。中井が描く女性の影は恐ろしい程に幻妖で美しくて、己の汚れ切った中身を鏡写しにされているような感覚に陥る。

人形たちの夜 (1976年)

人形たちの夜 (1976年)

胃が痛い