お前は蟻を殺すだろう

感想

真っ先に、秋を感じた、という感想を持ったが特別秋には言及されておらず、私小説的な作品を集めたと解説されていた。
保吉ものは、子供の時も、成人した今読んでも面白いのでエンターテイメントだと感じました。
「大導寺信輔の半生」の、主人公のドロドロした暗鬱な感情の言語化は至高であると思いました。

先週の日曜日は神保町へ行きました。
台風が近付いていて雨風が強くてあまり動きたくないなあと憂鬱ながらもまず三省堂に行くと、催事スペースにて古書市が開催されていて、何となく徘徊してみれば4冊買ってしまった。
目当ての作家の作品は無くて、でも元来から読みたかったものに出会えてうれしかった。
その後は散在している古書店へ入った、と書いたものの、雨傘をビニールに収納するのがいちいち億劫になり、二軒だけ。
無事欲しかった作家のエッセイを手に入れた。装丁が美しい水色と青色で、この日の気分に相応しかった。
この日は奇しくもその人物の誕生日ということで、意図していなかったが、巡り合わせのように自分の意志がそこに向かっていた。故人の誕生日というものを祝う義理は無いが、特別視したい。
最後に入った店は有名店のようだったけれど、本を棚から取り出すと同時に蝿も出てきて、如何なものかと思った。
そして寿司を食べた。最近は唐揚げよりも寿司を愛している、と言うのも諧謔とは言えないほどに寿司が好きで、満足した。
この日は好きなブランドの洋服をカジュアルに着たくて服を選んだ。
買い直したヴィヴィアンウエストウッドのスモールオーブのネックレスはメッキなのに高いから、浪費癖を治したいなあと悩んだりした。
平日は、だいたいおんなじ毎日って感じで、だいたいおんなじことの繰り返しだった。
感情も苦悩も疲労も何もかもが変わらなくて、切なかった。やりたい放題な学生なんてものは存在しなくて、改めて私は堅実で無味乾燥な人生を歩んでいるのだろう。

帰りの新快速の40分間は、読書をしたいものの、流れで何故かクラスメイトと帰宅する。
日に日に自分の個の喪失に気が狂いそうになる。
トロフィーワイフという言葉が存在するが、それを夫婦関係以外、知り合いにも演じてしまうような。
ここでそれは容姿や年齢は除外して、ただひたすら思考も返答も何もかも相手の求めるものになってしまう、というか、本来の自分から大きくズレては何も分からなくなってしまう。
でも、本来の自分なんて私は元々掴むことができていなくて、一体自分は何なんだろうか、と、人間の思考の原点回帰のような恐ろしい状態でベッドに入る。
昔から思うことなんだけれど、インターネットでもよくある、自己分析というやつ、エゴグラムと言うのでしょうか。私はあれが本当にできなくて、
設問に対してそうである、から、そうではない、までそれらの度合いも加味された選択肢が用意されて、それのどれに自分が当て嵌まるのか何も分からない。分かった試しがない。
あれに基づいて、プログラムに芸術タイプだったり右脳派だったり精神性をカテゴライズしてもらえて、それを自分のものにできる。そんな健康優良な脳味噌が私には御座いませんでした。
だから、この帰り道だって、分からなくなって当たり前で、それが本来の自己像から逸脱に繋がるわけでもない。
主観と客観の平衡が存在しないだけで、最初から自分なんて何にもなかった。
と、悲しくて一度泣いてしまいました。
普通に成りたくても成れなかったから普通じゃない自分を確立して生きているはずが、遠目からは普通に順応できているように見えて、何一つ得をしなくて、
ずっと思っていたことなんだけれど、改めて社会に放たれたら、こう思った。
誰か一度規定してくれ、私を。

憧れる場所は物理的にも感情的にも程遠くて、取り敢えずセクアンの曲をたくさん聴きました。あと、怪人二十面奏について考えました。
私は本当に天獄に行けるのか分からなくなってきました。
選別せずむしゃくしゃして切り捨てた物の中に大切だったそれがあるような気がして、
だんだんよく分からなくなってきました。
今日はすきなお店の洋服を着た。
クローゼットで静まっていたワンピースで、3年振りに着たら、栗が気になった。
一生幸せになれない。

ロンリーゴーマイホーム

2017年9月17日(日)
THE ELECT HORROR PICTURE SHOW scene09 渋谷DESEO

隣のライブハウスで男性地下アイドルのイベントが催されていたようでデセオ前が人で溢れていて、着いた時はあまりにも年齢層が低くてエレホが若返ったのかと勘違いしてしまった。デセオのスタッフのお兄さんに尋ねたら丁寧に返事をしてくれて優しかったので惚れた
すぐ惚れてしまうので困るなあと頭を抱えている


3.ピノキヲ

ラストー!って煽るバンドはあるけど一曲目を煽る、みたいなこと言ってて、「煽リズム」なのかな?新曲の。クラッシュに出演したせいかビジュアル系の煽りをひどく気に入っているようだった。
逆さまに映る桜の木、水玉予報、としんみりした曲続き。
何故かマイクスタンドをお立ち台に置き、マイク(ピザ回すやつ)を取り付けようとする。高い!高い!と困り出す。

以下順不同
新幹線の品川駅のホームのエスカレーターで前にANZEN漫才のみやぞんが居たんですよ、田舎者だからアッて言っちゃった。都会人のふりをした。
入りしたら寺子屋の園長が「うゆにさん、PS4買っちゃいました」って言ってきてこの野郎!と思った(その後オタク特有の怒りの表現)
そんな僕は昨日ミニスーパーファミコンの予約に必死でした。セガからハードが出ないって仰っていたような
どこかで東京ゲームショーの話も
ソニーに対する恨みを言って、ソニー殺す!って流れになり、ソニーを殺すって言い方はダメだ!として言い換えた表現が「髪を掴んで引きずり回してアスファルト大根おろしみたいにして最後鉄板の入ったドクターマーチンで蹴る」鉄板の入ったドクターマーチン……?
ストレッチパワーを何かに置き換えてやって一人で笑ってストレッチマンって知ってる!?と何故か興奮していた。
あー楽しすぎておしっこ漏れそう って昂ぶってておにいたまの真髄が顕現していてキモかった
この日はフロアが静かで、ちやほやが足りない!と、ちや!ほや!のあのレスポンス。
ここでかな?高田馬場AREAみたいに!エリア行ったことないけど!いつになったらバンドを組むのかわからないセッションバンド、とか
「殺せ殺せ!狂っちまえよ〜」とか言われてもいや私喧嘩したことないんでわかんないです!ってなるよね。って(心当たりがあって困った)
後ろ見えてるぞー!は嘘です、バンドマンは目が悪い人が多い
エレホキネマについて。このバンドが!?とか楽しみそうだった。ブログに書いてたことを改めて伝えているような。
若い知らない世代にも、みたいなことも強調していた。ハルくんがキボウ屋本舗?何それ?って人もいるかもしれない、って
皆さんのことがだいすきです、で天井裏から愛を込めて、がかわいかった
最後の東京ラジオの終わりに勢いよくコマネチをしていて驚きでした

この日は一人で笑っておられる場面が多すぎて良いピノキヲだった。お立ち台に足をかけるたびにダン!って音が響くのでピノキヲすきな人は最前列で見た方がいいとおもった


4.太平洋ベルト

世界プロモーションビデオ
魔王
メロンソーダ
流行色研究所
波乗りシーケンサー
東京特許許可局

なんかたりないかも

3年ぶりぐらい?に見た。吉川さんがすごく痩せていたような……
始まって、たぶん同期のトラブルで、なかなか演奏が始まらない。ホンジョウさんはピックをめっちゃ投げていた
魔王のギターソロでお立ち台でしばらくかっこつける吉川さん
ドラムの機材が外れたことを申告するけまりさん。
今回のライブのための移動の日にけまりさんが仕事を入れてしまったけれど結局休めた
さっきお昼にナポリタンを食べたら券売機で買ったのにお金払おうとしたという最近物忘れが激しい話。

どこかでセトリを確認して吉川さん「老眼がひどいんですよ。大人のジョークですよ」
チェキを撮った。「(ギターを抱えて舐めようとするポーズ)ヤングギターの表紙みたいになりました。70年代ロックが好きな人は買ってください」
この前キャンプに言った。
吉川さんは帰りに寂しくなりひとりひとりに寂しいか寂しくないか聞いて、寂しいって言わないと帰さない
缶詰を差し入れでいただくことが多くなった
缶詰をポンって開けて、その後にシーンって無音の瞬間があるんですよ、それに寂しくなる吉川さん
(吉川さん、ペットでも買えばいいんじゃないかなと思った)

殺人コックの話
ベテランですよって言ってた
コック衣装で、SMAPって出てきて、よしかわさんの髪の具合が稲垣吾郎という話


久々に見て相変わらず、というより更に増大した脱力感に和んでうとうとした。吉川さんが心配になる……けれどもそれなりに充実しているのだろうか



健康になればなるほど本来の自分に対する否定的感情が薄れ、こういう人たちを見ては興奮することをすっかり忘れていました
自分に素直になればなるほど崩れるものがあって、
それでもとてもしあわせないちにちでした

ピノキヲもベルトも、昔見た時は一人だったから物販に行けなかったけれども、今は一緒についてきてもらってなんとかお話しできるって感じで、そろそろ一人で物販に寄れるようになりたいなって思う

にっき

読んだ本

写真家がどういった目的で写真を撮るのか分からないけれど、二つのレンズが付いた立体写真機で郷愁を収めるという動機で写真を撮っていたとのこと

バブリング創世記 (徳間文庫)

バブリング創世記 (徳間文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

読んだ漫画

少女終末旅行 5 (BUNCH COMICS)

少女終末旅行 5 (BUNCH COMICS)


憂鬱で、何も考えずに生きました

あの日聴いたノーフューチャー

鬱フェス その他


・挫・人間

以前からナゴム魂を受け継いだバンド、次世代ナゴム、という評判を耳にしていて曲も少しだけ聴いていて、一番気になっていた。今回は演奏なし。EXTRAステージだと思ってたから、みたいに説明していたけれど故意なのかよく分からなかった。今回ドラムは下川さんの肉人形(ずっと真顔で棒立ち)
ラップ、アイドルぽい曲(おまんじゅう倶楽部てきな)とか、エンターテイメント、楽しむこと100パーセント、って感じで面白かったけれど個人的に演奏が見たかったなあ……。という感想はえんそくの客はめちゃくちゃブーメランかもしれない 演奏見たかった
下川さんはMCの抑揚のつけ方?がオーケンっぽいなあと。決して良いことクサいことを言おうとしない姿勢も少しオーケンっぽい(いつもは言ってるかもしれないけれど、この日は口が悪かった)
異種格闘技戦をするならこういう人たちと2マンしてほしいなあ。


・絵恋ちゃん

嗣永桃子をもっとニッチに、地下に、危険にしたようなプロ感。
見ているだけで面白かったし、「流石にアー写から鼻毛出てる人いない」という発言がヴィジュアル系に寄せてくれたのかなあとそこが一番気になった。そうだったら凄くホスピタリティに溢れてる


大槻ケンヂ

オンリー・ユー
プカプカ
サイコキラーズラブ
香菜

観てたらなんかぶうさん出てきて本気で記憶がない


・キノコホテル

どう考えても好きなタイプだった!
昭和レトロな曲調というところだけでなくて、まさに耽美主義って感じの妖艶で、俗っぽくて、そんな身のこなし。鬱フェスに合わせて一番盛り下がる曲から、と仰っていて、多分普段はもっと話される陽気な方なんだろうけれど、30分間ひたすらステージに夢中になる中毒性の高さ。
ギターがすごく良かった。まさに渋い、って感想が妥当な音の歪み。女性なのに、女性だからこそ格好良さが際立っていた。
また観たいし音源欲しいなと思った。


オーケンギャルド

日本印度化計画
自撮入門
林檎もぎれビーム!
箱男に訊け
踊るダメ人間

SEは左卜全老人と子供のポルカ。元ネタはROOTS66で共演者に「大槻さんの歌からブルースを感じる、左卜全みたい」と言われたエピソードから。
髪を立てていたのに帽子を被ってきた

印度のヌンチャクソロでよこたんさん、オーケン、てんまがヌンチャクを持って、ほか二人はできないんだけれど、歴戦のオーケンは上手くて……
アーバンギャルドの曲では特に、手持ち無沙汰にやることなさそうな、謎の動きをしていた。

おそ松さんという名前をオーケンが挙げたらてんまが「腐女子に人気の?」って言いそれをうん、って否定することなく流していた。
左卜全の話にてんまがすかさず「左とん平カバーしてましたよね?」と、フォロワー感を出してきてせこいなっておもった。

MCが長いから舞台袖のスタッフが腕時計を指して合図
てんま 腕時計がどうかしたのか
よこたんさん 手首が痛いんじゃ
オーケン フリーメイソンの合図、高須先生だけわかるやつ

林檎もぎれビーム!にこの日二番目に吃驚した(一番はオーケンのステージ)。「あいつらにだ!」は生で聴いても熱くなるものがあって、大槻ケンヂと絶望少女達の曲は、よこたんさんは凄く映えるなあと思った。
箱男(てんまがダンボール被って出てきた)に怯えていたり、箱男のダメジャンプで疲労困憊していたり、おじいちゃん。
これ二回目(夏の魔物から)!で、ダメ人間


アーバンギャルド

ワンピース心中
水玉病
あくまで悪魔
病めるアイドル
都会のアリス
さよならサブカルチャー

EN
ももいろクロニクル

セーラー服を脱がないで


中学生の時に好きでそれは本人達曰く「少女三部作」と括っている作品の頃で。
(身の上話だけど私の周囲の俗に言うメンヘラはアリプロジェクトかアーバンギャルドを好いていた)
だから気持ち的には好きだった頃の、中学生の私の主観でライブを見た。
今の規模だから余計ステージは凄く見えるし、惹かれるものがあるし、口惜しいけれど、てんまの歌詞はやっぱ秀逸だと思うし、自分に素直になれば、やっぱ私はアーバンギャルド好きだなあと思う。し、稀有な存在だと思う。所々身の毛がよだつ瞬間もあるけれど。
今更言う必要のない言葉だと思って避けてきたけれど。
セットリストは多分面白味に欠けた定番曲だったんだろうけれど、
最後のさよならサブカルチャーという曲は、リリースされた頃はもう全然アーバンを聴いていなかったから音源を持っていないものの、動くことなくただただステージ見つめていて。泣きそうになってしまった。
よこたんさんの圧倒的存在感が美しくて、そして、てんまの目が最後の聖戦ツアーのオーケンを彷彿とさせて怖くてどうしよう、って硬直した。多分、もっと気楽にステージに出ていたはずなんだけれど、中学生の自分に重ねていたので、そう見えました。
こういう泣く、という感覚に導いてくれたのが郷愁であろうが、うれしかった。
こういう人を見続けようと思う世界線もあるのかな、とか思うけれど、
中野サンプラザが発表されて、泣いている人たちがいて、そこで何も込み上げてこない私が介入する余地も、私の心への介入も、特別何も無い存在だったなっておもった
時を経て見れて良かったし、中学生の私の魂の一片は鎮んだ。


久々にライブを一人で見れて楽しかった
普段別ジャンルのライブを見ることってオーケン関連ぐらいだしとても新鮮だった
ただ鬱フェスという名前は未だによくわかりません気持ち悪いなって感想




こうして散々俗世間に曝されて定義が崩れたサブカルも、私の好きな白塗りも、みんなフォロワー(客)が気持ち悪くて、申し訳ないし、同族嫌悪かもしれないけれど
ニッチな趣味の自分に対する矜持と自我が気持ち悪くて、一人で見るに限るな、と思うライブばかり
エレホ!とかストレスで死んじゃいそうです
ピノキヲが憩いだ、という謎の帰結

君の病気は治らない だけど僕らは生きてく

2017年9月10日(日)
アーバンギャルド Presents 鬱フェス2017 TSUTAYA O-EAST


タイムテーブル


幕が開く前に浜崎容子さんの影アナ。「自らを《はみだし者》と称する、マイノリティ志向のヴィジュアル系バンド。楽曲はキャッチーなロックサウンドを主とするが、歌詞のテーマは"孤高"や"異端"、"選民……意識……」
幕の向こうから「やめてー!!恥ずかしいからやめてー!!wikipediaを読み上げられて鬱だーー!!!」と、叫ぶぶうさん。

机上の空論から。
鬱には身体を動かすことが効くから、のようなニュアンスのことを仰っていた気がする。フロアの笑顔を見ては「その笑顔鬱に見えないよ」とか、そういうことを。
今回は「手首を切る運動」として、手首を手刀でバシュバシュと。途中から虚な目をしてただただ手首を切っていた。

オタクがいる方向に向かって「かわいいと思ってない?男だよ!?」とじょさんについて唐突に説明。その時のじょさんの動きが恐ろしかった。
躁なのに鬱フェスに、みたいなMCだったはず

「一番ヤバイのは躁の中の鬱だぜ?」と言うと後ろの方から納得するような反応が聞こえてきたのに面白く思った。
「飛び降り自殺をするときは躁鬱の躁の状態とか言うでしょ!アイキャンフラーイ!」と、唐突にお立ち台からステージギリギリのところまでに飛び降りてきて怖かった。
すると「……コード!!」と、徐にマイクのコードにキレていて怖かった。
「自慢してもいい?大槻ケンヂさんと共演します!」
「天馬さんに足向けて寝れねー!」とステージの上で寝っ転がる。
文字にすると難しいけれど、ぶうさんは躁が天元突破していて大変おかしかった

最後のえんそくって曲をやります。
両手を挙げてくるくる回る。後ろの方に向かって「刃牙読んだことある?」と肘の危なさについて。
UFOでは、手首を切り、この血を全部入れ替えても、で切り口をグリグリ押し付けるような感じ。曲が終わって、最後に浮遊音みたいな、音源通りのあの音が妙に印象的だった。
メンバーが捌けて、じょさんがお立ち台に上がり、ナガト。
ナガト:ぶうさん
男:クラオカ
女:じょ
ガラミス星人:ミド
オーケンの影響を受け継いだぶうさん作詞作曲のこれをオーケンがいるから持って来て良かったなあと思うけれど、サクラとして赴きながらも初見かのように開いた口が塞がりませんでした

中二病という病気が治らないボーカリスト率いるえんそくの、素晴らしいライブだった。手首に残って一生消えない傷の如く、えんそくの爪痕を残せていたら良いなと思う。


アーバンギャルドのセッションで、
ぶうさんは一番でしゃばっていて、オーケンにケータリングのお弁当を貰ったらしくて。「大槻ケンヂ様」と書かれたそのお弁当を見せびらかしていた。
弁当を指差して、自分を指差して、オーケンを指差して、客にあげようとしてあげないみたいなことをやっていて、凄くうれしかったんだろうなあと微笑ましくて流石に孫を見るような目で見てしまった。
アーバンギャルドのももいろクロニクルをやったのだけれど、多分ももいろだからじょさんをセンターのよこたんさんの横に連れて行っていた。そんなじょさんは最終的にキノコホテルの方と意気投合していた。
ぶうさんは自由で、ひたすら弁当を自慢したり、弁当と自撮りしようとしたり、上手の端にいたオーケンの元へ行ったり。

でも一番すきだなあと思ったところは、
《神様 僕の神様》という歌詞で、俺?俺?みたいにしていたところでした。
私個人的には、ぶうさんは神様なんかの超越した存在じゃなくて、惡のミカタで私の唯一無二のヒーローでいてほしいのだけれど、こればかりはすきだと思わざるをえませんでした。
最後捌けるときオーケンと隣同士だった
不思議だった


オーケンギャルドとかの感想も書けたら書く

誰かの描いた 「キラキラ甘くって都合のいい惡夢」

泣くという行為について哲学するつもりはないのだけれど、泣ける曲、について考えた。
自分がえんそくのライブを見て涙が出てきた曲は、怪人ラボの夜と581cで、それぞれ特別な曲だなあっていつ迄も忘れたくないような、それこそ宝箱に入れるなんて規模じゃなく。私のみならず色んな人にとって特別で、特別だから泣いたわけではないけれど。あと、アリス・エクス・マキナでも泣いたことがある。
怪人ラボは福岡のワンマンだったと思う、その時の感情、所謂霞みってやつが臨界点突破していて今では羞恥を覚えるぐらいのもので、自分の中の色んなものとリンクして歌っているぶうさんが色々切り離されていってしまった。
アリスは、正直悪い意味で泣いてしまったので泣ける曲とは趣向が違うのだけれど事実、泣いたから。私が今迄で一番思い出したくないライブで、この歌詞が一言一句頭を掠めて飛んで行って悲しかった。
で、最後の581cは、2015年11月28日の心斎橋バロン。宇宙を感じた、なんて書けば笑い事かイカれた新興宗教徒のようで悲しいが、私はあの581cを見て聴いてぶうさんは普通じゃないって確信できた。と言っても過言ではない。し、この人に作ってもらえるアイデンティティの始まりにもなった。あと、当時ライブハウスで話す知り合いが居なかったことも良かったなあと思う。そうした環境からの自分はもう戻って来ないから(今は今で楽しいけれど、自分の本質からはえらく懸け離れてしまっている)。

泣ける曲のセットリストが羨ましいなと思って、私だって泣きたい、と思う日がよくある。
その日が決して泣くようなライブではなく滑稽なものであろうが私だって泣きたいという意志が勝る。
ある曲がどうしても聴きたくないからThe picnics. は一生行かないのかもしれないように泣ける曲をしてくれるのなら泣きに行きたい。
ぶうさんがブロマガで挙げていた楽曲はどれも素晴らしくて、ずっとリスナーを続けていればそれは愛しくて、耳にこべりついて離れない。特に12モンスターズや狂ったセカイには励ましてもらえる。でも私は多分どの曲を聴いても泣けない感受性なのかもしれない。
分らないけれど、例えるなら、この人あたしをわかってる あたしの心を歌ってる 恋したわ、なんていう望みを持ってライブに行ったり曲を聴いたりすることができなくて、そうした気持ちにでもなれたらよかった。根本的に、バンドなんて娯楽でしかないのだから、いくら言葉で装飾しても冷めた感情が根幹で。
こういうぐにゃぐにゃと捻じ曲がったものを実感したのは、去年の12月のライブだった。その日のライブだけ残念な事に記録を残していなくてはっきりとした言葉は覚えていないが、狂ったセカイの、病気が治らない、の後に、いつも何か仰るのだけれど、その日は「何泣いてんだよ!」と仰っていて、そこで全ての感覚が遠退いてしまってライブを「そこ」にいるのに遠くから見ているような難しい感覚に惑わされてしまった。
今思えば恐らく壁際とかに泣いているファンがいて、そういう人に向けて仰っていたんだろうけれど。
そういうぶうさんの優しさに私も何度も救われたけれど、それでも「君」という言葉はいつまで経っても私を私として繋ぐことができなくて、ふとしたときに寂しくなる。
私がいつかこの曲私を歌ってる、なんて思える日が来たら、それは屠殺屋マン4号の《今はどこかで あの頃の私に似た誰かの為のヒーロー》ってところなのかなぁ、って、歌詞カードを読んでいるとそこばかりに目が止まる。
こう書けばなんか良くない感情のようだけれど、そうではなくて直感でしかない。

ぶうさんには、出来るだけ、泣いてほしくないなあと思う。
1999年のブルースは、曲もそうなのだけれど、えんそくのライブに於いても特別なんて言葉で言い表せないくらいに特別な曲になってしまったなと勝手に思ってしまっているから、泣かないで、力強い歌に自分が何処に居るのか思い知らされたい。
まあ涙は勝手に出るものだけれど、好きな人達にはいつまでも強く生きてほしいものです。
悪魔に魂を売るような選択はしないでほしいという祈りに満たない気持ち。

涙が零れ落ちるほど泣いたライブは人生で一回きりで、SEX-ANDROIDのラストツアーの大阪のグッドモーニング・サブカルチャーだった。
まさかセクアンに泣かされるとは思わなくて、曲が終わってメンバーがはけてお客さんがアンコールを求めまた戻ってきて最後の挨拶をしているときもずっと涙が止まらなかった。
一生忘れない。
あの日は寺子屋ツアーの松本で、その後会う人に松本の感想を伝えてくる度に、私はこの日は大阪が一番楽しくて幸福だったという誇りを持っているから腹立たしかった。
良いバンドだったなあ、と過去形で伝えてしまう現在が憎いほど口惜しいが、良いバンドだったなあ。
最近は、そろそろ恋しいな、と思ってしまって、でも無くなってから恋しく思う自分が愚かすぎて、こうして今迄文字にしなかった感情や好意を今更文字にすることも、活休バブルで沢山の人が観に来た事と同質だし、それを咎めることは誰もできないけれど本人が一番感じていた蟠りでもあるだろうから。
私の中で、彼等と当たり前を結び付けてしまっていた瞬間は、クラッシュもそうなのだけれど、毎年11月辺りにライブでチロルを聴いてはやっと冬が来るんだなあとリアルな季節を感じている時で、それがもう無いんだなあ、って秋を待つ。
こんな後悔もうしたくないから、バンギャルらしく生きてみようと思うのだけれど、やっぱ自分には向いていないなあって。こんなに篤信しているのに何処か冷めている自分が居て、バンドに生きる目的を投影して綺麗事のように人生を任せる、なんて、酷い怠惰だ。

一つの命の価値を決めないで

生きてきて劣等感にずっと締め付けられてるからこうやって不毛な文章を書き留められるのだけれど、一日中ぼんやり後頭部が重いあの感覚で、大学辞めたいなーって何と無く思い付く今の状態が危ない事は自分が一番理解しているから戒めようとしている。
こう、お腹空いたなー大学辞めたいなーって無意識に声に出てしまって本当に辞めたくなって辞めちゃうのはどういう生命機構が働いているのでしょうね。
自分について他人に一から百まで曝け出そうとは思わないけれど、経緯を明瞭にする為に書けば、人生で二度学校というものを退学した経験があるので、しかも理由がいじめとか病気とかそういうものじゃなくて辞めたいなーって思ったら行かなくなって勝手に辞めていた、と、非常に曖昧模糊で、おそらく思い出してはいけないから記憶を暈してくれていて、やっぱ何処かしら普通じゃないし、普通にもなれないし、劣っていて欠落していて、今更後悔も何も無いけれど偶に負い目を感じる。
どうでもいいけれど私には兄が居る。
能ある鷹は爪を隠す、とは本当の事で、家の様子からは到底信じられないような功績を残していらして。
凄いなあと思うし、本来ならば親は兄弟全員を兄のような人間に育て上げたかったらしい。らしい、とは、親本人から聞いたわけではなくて、ずっとダダ漏れてる。その為に私に考えられない程のお金をつぎ込んでくださった。
何とか普通の人よりは沢山お金を稼げるような大人に成りたくて今の地位まで戻ってきたけれど、申し訳ないなあと自責するばかりで、同時に今までの数多の些細な事柄を怨む。
例えば、中学受験して、それはとても有名な中学に入学して、色んな人にそれを自慢されて、それがずっと恥ずかしくてまるで私の努力をダシにされた様な被害者意識しか芽生えなくて。確かに親のサポートは必要で金銭面で迷惑を掛けて、でも私が一番与えられたかったものはお金じゃなくて、もっと、こう、お金じゃ買えないっていうあれでした。
あ、劣等感というものは大学とか兄弟とかそういう方面へ向けたものでは無いです。
もっと子供染みてドロドロでぐちゃぐちゃで最悪な方。誰にも言えないけれど。
周りにこうなりたいって大人が居てくれたら私はもう少し素直でかわいい良い子になれたのだろうけれど手遅れだなー、と、笑っています。
こう、全く面白味も夢も無い話で、それしかインターネットに今は書く気力がなくて、それが本当に悲しいけれど、家族と殆ど話していなくて、母親とはたくさん会話するけれど。それで、何だっけ、忘れた

あ思い出しました、話さなくなれば自然と憎しみが希釈されてしまって、最早社会的弱者と化した親と話さない事は逆ネグレクトみたいな虐待では、とかまた自責して、私も少し感情的だったなあ話そうかなあとポジティブになったりするのだけれど、距離を近づけても無意識に傷付けられては悲しくなって攻撃して、の繰り返しだから考える事を放棄した。
世界のシステムはそうプログラムされていて、今が平和でもまた直ぐ悲しくなってしまうだけで、
多分、今はすきなバンドを観ることが楽しくてこれはきっと幸せなのだと手掴みで分かってしまうほどの感触を得るが、悲しくなる日もそう遠く無いのだろうなあ、って、予兆というか女の勘というか、そういうのが。分かってしまうじゃないですかそういう目に見えない何かって。
未来を見据えることが悲しいってことが一番悲しいんです。
そういえば夏休みに入っていつ誰にどこでそれを言われたのかは覚えてないけれど、凄く残酷な言葉を与えられた。夢とかじゃなくて、現世という世界だったと思う。
家族の話になって私は何故家族の話をしてしまったのか経緯もよく分からないけれど、家族のことを「別に大丈夫じゃない?」って言われて、それが残酷だったなーって。
大丈夫、という無責任な言葉は、無責任だからこそ使うべき人も居て、だから私はぱやぱやという曲を聴いて眠りにつく日もあって、
でも、そうじゃない人は、どういう根拠で大丈夫なんて言ってくれたんだろうなあって、恐ろしくなってしまった。可哀想と言われたい訳じゃないけれど、選択した言葉が大丈夫、だったことが怖い。
何もかも頭が悪いことが罪な気がする。
好きな作家の話も通じなくて、無味乾燥で一般人ウケのいい家族の話でしか時間を潰せなかったのかもしれないし、そんなシチュエーションも頭が悪い。
頭が悪い人が嫌いで仕方なかったけれど、もうずっと何年も頭が悪い人としか会話してない気がする。今ここに飼い犬は存在しない。
養豚場で狭い柵に閉じ込められ他者と躰をぶつけながら生活する豚は孤独感なんて感じるいとまがなく、それに嫉妬しないけれど、狡い。
何というか、社会から浮いた存在というのは得しかしないので、これからも無知な大人に口を揃えて浮世離れ、と褒めていただけるよう頑張りたく存じます。2017年9月6日